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JBSG主催の映画上映会を開催しました

11月13日(火曜日)、JBSGの催しとしては初めての映画上映会を聖心女子大学ブリット記念ホールで開催しました。私達が選んだ映画は「灯籠流し PAPER LANERNS」、40代のアメリカ人、バリー・フレシェット(Barry FRECHETTE)監督のデビュー作となるドキュメンタリー映画です。

この映画は、「1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾の犠牲者14万人余りの中に12名の米兵捕虜が含まれていたことは、日本でも米国でもほとんど知られていなかった。この事実を知ったアマチュア歴史家で自らも被爆者である森重昭さんは、40年以上かけて米兵の遺族をたった一人で探し当て、被爆して亡くなった米兵捕虜12名に敬意を表し、遺族との交流を通して、何が起こったのかを伝えた地道な活動」をまとめたものです。

当日は、この映画のプロデューサーを務めたピーター・グリーリ氏にお出でいただき、日米協会副会長で、私達JBSGのアドヴァイザーの久野明子氏とのトークショーも行いました。プログラムは3部構成で、上映前後にトークショー、その後には客席の皆様を交えてのQ&Aの時間を設けました。

〇上映前のトークショー

久野さんとグリーリーさんは幼馴染で、気心が分かっているため、会話は全くの自然体で、スムーズに進行し、私達が知りたかったことがよくわかりました。

「森さんの活動を、バリー・フレシェット監督がどうして知りえたのか」という疑問は、この映画に登場する被爆米兵の一人、ノーマン・ブリセットさんの親友が、バリー監督の大叔父で、その大叔父さんから森さんの活動を知り、森さんの真実を突き止める活動の軌跡を映画に残したいと思ったからだと分かりました。

また、この映画はアメリカ各地で上映され大好評を得ていることから、「戦勝国のアメリカ人、原子爆弾を落とした側のアメリカ人は、一体この映画の何処に感動しているのか」という疑問に対するグリーリーさんの答えも印象的でした。「その質問は日本で度々受けます。答えは日本の皆さんが感じていることと全く同じです」でした。私達は戦勝国、敗戦国ととかく分けて考えがちですが、この映画を観た人々の感想にはその区別は全く当てはまらないのだということが分かりました。

終戦直後の1947年から59年まで日本で過ごされたグリーリーさんと、ご近所だった久野さんが、家族ぐるみのお付き合いの中で何のこだわりもなく幼馴染として現在に至るまで親しい関係を続けていらっしゃることを考えても、戦争は敵味方を分けるけれど、人間の本質はそんな分け方を超えられることを証明しているように思います。

〇上映

映画は、森さんの奥様が淡々とインタビュアーにお茶を入れていらっしゃるシーンから始まります。森さんご夫妻が活動の動機や様子を淡々と話し、被爆米兵ノーマン・ブリセットさん、ラルフ・ニールさんの遺族、友人が静かな語り口で死者への思い、家族の思いを語り、森さんと遺族達との交流の様子をカメラは丁寧に追います。

映画は2016年5月にオバマ大統領(当時)が広島の平和記念公園を現職大統領として初めて訪問し、「核兵器のない世界」にむけたスピーチをし、森さんと固く抱擁を交わすシーンで終わります。映画の最後に森さんが、「これが戦争なのだ。戦争は絶対にしてはいけないという結論を学びました。今後とも世界が平和であることを祈りましょう」と語るシーンがあります。見終わった後、この言葉が深く響いてきます。全編に流れる音楽、尺八の音も印象深いものでした。

〇上映後のトークショーとQ&A

この作品は、2016年5月のオバマ大統領訪日の前には完成していましたが、大統領と森重昭氏の抱擁シーンの写真が世界中に配信され、大きな反響を呼んだことから、映画の編集をし直したこと、英語がそれ程堪能ではない森さんがホワイトハウスに直訴の手紙を送ったり、電話帖から苗字が合致する人に片っ端から電話をしたりして、遺族を探し当てる努力がいかに大変だったかが分かるエピソードが紹介されました。

QAでは、「グリーリーさんがこの映画から得た物は?」という会場からの質問に対して、「自分は大した事はできないと思っている多くの人に対し、“普通のひとでも、信念をもって努力をし続けることで、大きな仕事をなしえる”ということを、森さんが証明してくれたこと」と話されました。正にその通りだと思いました。

〇終わりに

上映会終了後、多くの方々から「素晴らしい映画だった」との感想をいただきました。若い方の中には「涙が止まらなかった」という感想を述べた方もいらっしゃいました。

あらためて映画の持つ力に感銘を受けました。心配したお天気も、どうやら雨にはならず、予想を上回る200名近くの方に足を運んでいただきました。皆様に心から感謝いたします。

生まれ変わった「シドモアさんと百年の夢」

ずっと以前のメンバーブログ「サクラとハナミズキの物語(2)」で、JBSGのアドヴァイザーである神尾りささんが、ワシントンDCに桜が植えられるまでの長ーいお話を絵本にした、ということを書きました(2016年5月16日)。今回、その絵本が生まれ変わって2018年9月30日に印刷・発行されたので、そのことを書きたいと思います。

表紙を見ると分かるように、「文 神尾りさ、絵 西由美子」の間に「英訳 Laura Symborski」とあります。挿絵を大きくして絵本としての体裁を整えた上に、英文が加えられ、さらに漢字にはルビがふられているのです。扉に当たる1ページ目を見てみましょう。
ここにある出だしの文章は、以下のように始まっています。
このように、ほとんどの漢字にはルビが振られ、英文が添えられています。英語はとても分かりやすい文になっています。

もう少し長く引用してみます。4ページにある日本語の本文(ルビは省略)とその英訳です。

ときは一九〇九年のこと。アメリカで新しく、二十七代目め
の大統領が誕生しました。ウィリアム・タフト大統領です。奥
さんのヘレン・タフト夫人は、ホワイトハウスがあるワシント
ンDCの街を、美しくすることにしました。
そのことを知ったシドモアさんは、あることを思いつきまし
た。タフト夫人に手紙を書くことにしたのです。日本にある美
しい桜を植えて、ワシントンDCの街をきれいにしてはどうで
しょうと伝えました。
手紙をだしてから、たった二日後のことです。タフト夫人か
ら、シドモアさんに返事がとどきました。

「ワシントンDCに桜の木を植えるというアイディアをあり
がとうございます。ぜひ行いたいと思います。街の中に桜並木
をつくるのはどうかしら。水辺にうつることはないけれど、素
敵な街並になるのではないかと思います。あなたの意見をきかせてください。
一九〇九年四月七日 ヘレン・タフトより」

It was 1909. Mr. William Howard Taft became the 27th
President of the United States of America. His wife,
Helen Taft, decided she wanted to make Washington
DC a beautiful city.

When Miss Scidmore heard about this, she had an idea.
She decided to write a letter to First Lady Mrs. Taft. She
asked Mrs. Taft what she thought about planting Japan’s
lovely cherry blossom trees in Washington DC to make
the city beautiful.

Only two days after Miss Scidmore sent her letter, she
got a reply from Mrs. Taft.

The White House, Washington
April 7, 1909

Thank you very much for your suggestion about
the cherry trees. I have taken the matter up and am
promised the trees, but I thought perhaps it would be
best to make an avenue of them, extending down to the
turn in the road, as the other part is still too rough to do
any planting. Of course, they could not reflect in the
water, but the effect would be very lovely of the long
avenue. Let me know what you think about this.

Sincerely yours,
Helen H. Taft
英文の手紙の内容の方が、少し詳しくなっているようですが、これは実際の手紙を反映していて、日本語の方が少し省略しているのでしょう。いずれにしても、英語の手紙の書き方の参考にもなりますよね。

こうして物語は「サクラとハナミズキの物語(1)から(3)」で書いたように進み、最後のむすびは以下のページのようになっています。
絵本全体をここに載せると長くなりすぎるので、神尾りささんの許可を得て、絵本のPDF版をダウンロードできるようにしておきます。
「シドモアさんと百年夢」神尾りさ 絵本版20180930」

最初に述べたように、この絵本、それほど長くはないので、小学生の国語の副読本、中学生の英語の副読本になるかもしれませんね。漢字にルビが振られているので、日本の子供達に加え、世界中で日本語を勉強している人にも読みやすいと思います。優しいタッチの絵を描いた西由美子さんはJBSGの活動を応援して下さっている協力者の一人です。もしも絵本についてもっと知りたい、絵本を入手したいという方は、下記のお問い合わせ先まで連絡をしてください。

お問い合わせ:神尾りさ(kamiorisadesu@gmail.com)

響き合う物語

8月22日の毎日新聞夕刊の一面トップに、上のような記事が出ていました。掲載されている写真が、11月13日にJBSGが主催して行う映画会「PAPER LANTERNS」のポスターで使っている写真とほぼ同じものだったので、見た瞬間、ドキッとしました。あらら、どこかで「PAPER LANTERNS」の映画会?と一瞬思ったのですが、記事を読んでみると、ちょっと違っていました。

「風が吹くとき」などの監督としてよく知られている日系アメリカ人のジミー・ムラカミ監督は、最後はヒロシマを舞台にした作品を作りたいと、7年前に森重昭さん、写真のオバマ大統領が抱擁している人、を訪ね、広島で被爆したアメリカ兵捕虜のことをいろいろと聞き、映画の構想を練っていました。

風が吹くとき」は、イギリスのレイモンド・ブリッグズの絵本をもとにムラカミ監督が製作したアニメ映画で、1986年に製作され、1987年に日本で公開されました。見た人もいると思いますが、中年の夫婦が原爆投下後も防空壕として作った扉の後ろに逃げ込んだおかげで生き残るのですが、次第に原爆症に侵されて衰弱して死んでいくのを淡々と描いた、それだけに恐怖を感じる映画です。
(「風が吹くとき」デジタルリマスター版:アットエンタテイメント)

自らも被爆者である森さんと、日系二世としてアメリカで強制収容所に送られ、後にアイルランドに渡って「風が吹くとき」を監督したムラカミ監督の、原爆、放射能、戦争に対する共通した気持ちが共鳴した結果なのでしょう。ムラカミ監督は、森さんの仕事に一貫している人間愛を、アニメとして描きたかったのだと思います。

残念ながら、ムラカミ監督は2014年に80歳で鬼籍に入りましたが、その遺志を継いで、日本のプロデューサーが製作することになり、8月27日に広島市役所で記者会見が行われました。記者会見には、プロデューサーの宇田川東樹さん、脚本の冨川元文さん、キャラクターデザインのかわぐちかいじさん、それと森重昭さんが出席しました。被曝75年に当たる2020年の完成を目指しています。製作のためのキックオフ費用をクラウドファンディングで集めるということです。そのページがここにあります(映画製作の経緯、今後のスケジュールなどが詳しく書かれています)。
(画:かわぐちかいじ)

その森重昭さんが半生をかけて行った広島で被爆したアメリカ兵捕虜の調査と、その結果生まれたアメリカの遺族との交流を描いたキュメンタリー映画が「PAPER LANTERNS」です。11月13日の上映が待ち遠しいですよね。どうぞ、お誘い合わせの上、ご参加ください。申し込み込の締め切りは10月31日です。
今回の映画会のもう一つの目玉は、映画上映後に製作者のピーター・グリーリー氏と参加者とのフリートークの時間を設けていることです。森さんの活動の何が、アメリカ人映画監督達の製作意欲を掻き立てたのか、そんなことを知りたくなりますね。

ピーター・グリーリさんの略歴:
1942年米国生まれ。47年に来日、59年まで日本で過ごす。早稲田大で学び、ハーバード大で学士号と修士号を取得。ニューヨーク日本協会や米のテレビ局勤務、コロンビア大ドナルド・キーン日本文化センター所長、日米相互理解と交流を目指す民間非営利団体のボストン日本協会理事長などを経て、現職ボストン日本協会特別顧問。京都国際観光大使。米ボストン市在住。
ドキュメンタリー映画の脚本執筆や製作をおこない、最新作が「PAPER LANTERNS」。ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナルなどの多数の国際的な雑誌や新聞に寄稿するとともに、日本の古典ならびに現代文化イベント製作者として、歌舞伎、能、文楽および多くの映画、ミュージカル、演劇を米国に紹介している。日本語は堪能。

第1回アメリカボウル大会のお手伝い

7月22日付の毎日新聞朝刊(東京版)の社会面に、上記の記事が載ったのに気が付いた方はいましたか? この記事にあるように、7月21日に、第1回のアメリカボウル大会が港区区民センターで開催されました。大会の主催は日米協会(一般社団法人)で、ANAの協賛のもと、外務省、アメリカ大使館、全英連、ワシントンDC日米協会が後援しました。JBSGのメンバーもこの大会の開催前の宣伝、当日の運営にと、幅広く協力しました。

アメリカボウル大会は、アメリカから始まって、今や世界各地で開催されているジャパンボウル大会にならって、アメリカについて深く理解してもらうために、アメリカの歴史、文化、芸術、地理、科学、日米関係などの知識についてのクイズが出題され、各高校からの参加者が3人ないし2人一組のチームを組んでこのクイズに答え、優勝を目指すというものです。これは2017年に100周年を迎えた日米協会の記念事業の一つとして企画されたものです。

協会は募集要項が裏に印刷されたチラシを作成し、東京とその近県の高等学校に配布し、参加者を募りました。JBSGもチラシの配布に協力しました。
初めは参加者がどのくらい集まるか見通せず心配しましたが、締め切り時には68の高等学校から申し込みがあり、約270名の参加となりました。当日は朝9時からの受付なので、JBSGのメンバー6人はそれより早く会場に到着して受付のテーブルを準備し、勇んで会場にやってきた高校生をテキパキとさばきました。と言いたいところですが、実際は、事前に渡された資料の指示に従い、受付リストの高校名と人数を照合し、座席番号表、アンケート付きバインダー、氏名札、お弁当引換券等を渡す作業を、あたふたしながら必死に行い、定刻までに何とか全員を会場に入れることができました。

午前中は予選で、筆記形式で出際されました。各チームに1組の解答用紙が配布され、スライドで出際される問題に、チーム内で相談しながら、30秒以内に英語で答えていくという形式です。

予選が終わると昼食です。昼食は2グループに分かれ、第1グループが昼食の時は第2グループが35分のカルチャーイベントに参加し、時間が来ると昼食とイベントを交代する2部制をとっています。JBSGのメンバーはお弁当の受け渡しの役を担い、引換券を持った高校生や引率の先生にお弁当とお茶を、こちらはテキパキと渡すことができました。

カルチャーイベントは実際には観ていないので詳しくはわかりませんが、聞いたところによると、配布された用紙に様々な内容の質問が、たとえば「昨日パスタを食べましたか?」というように英語で記載されていて、その質問に当てはまる人を探し、ビンゴのようにマスを埋めていき、縦あるいは横がすべて見つかった人から景品がもらえるというものです。

主催者の話では期待以上に盛り上がり、参加者たちはお互いに親睦を深め、楽しんでいたそうです。

もっともその間に、審査員たちも採点をして集計し、順位をつけていたのですが。

午後2時に決勝進出チームの発表がありました。当初は3チームを予定していたのですが、同点のために5チームがステージに上がり、決勝戦となりました。

決勝戦には、日米協会名誉総裁である高円宮妃殿下も出席して、熱い戦いをご覧になりました。決勝戦は三択クイズ(下の写真)、オーラル問題、早押しクイズで構成されています。

オーラル問題では、例えば「What is your favorite American movie and why?」という設問に英語で答えていくというもので、特別審査員の方々の厳しい審査に、会場が大いに盛り上がりました。

これらの結果、開成高等学校チーム1が優勝し、賞状とメダルと共に、約1週間のアメリカ研修旅行の副賞が贈呈されました。

JBSGのメンバーは、順位が決まった瞬間から、贈呈式までの間に、賞状に高等学校名を墨で書くという、またもや裏方の仕事をしました。チームの数ではなく、チームの各メンバー分の数なので、大変だったのです。

このアメリカボウル大会は、ジャパンボウルと同じように、高校生がアメリカに興味を持ち、高校生同士が交流するよい機会となったのだと思います。

今回は裏方に徹した感じでしたが、参加した高校生達が本当に楽しそうにしている様子がよくわかりました。成功してよかったです。

日米協会による日本語と英語の報告がここに掲載されています。会場内の写真は、すべてそこからお借りしました。

2018年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(2)

JBSG主催の交流会を開催
7月10日(火)午後3時から、国立オリンピック記念青少年総合センターで、競技カルタの実演とワークショップ、続いて高校生による日本滞在中の報告会、その後、代々木倶楽部で夕食会と、てんこ盛りの活動でアメリカとカナダのジャパンボウル成績優秀者と交流する会を行いました。

競技かるたの実演とワークショップ
「競技カルタの実演とワークショップ」の会場は、センターの一角にある和室の平屋「桜花亭」です。床の間に用意した掛け軸と七夕の飾りをしつらえ、玄関口には蚊取り線香を焚いて、和の気分を盛り上げました。

「競技カルタの実演とワークショップ」を率いて下さるのは、全日本かるた協会主催の第48回全国女流選手権大会(2016年12月)において高校3年生で優勝し、今若手のホープと期待されている、慶應義塾大学1年生の矢野杏奈さんです。矢野さんと一緒に模範競技を実演して下さるのは、同大学 「慶應かるた会」のメンバー3名、読唱は東京東会、福井典子六段(A級公認読み手)です。実演者は全員袴姿の正装で高校生を迎えました。また、英語と日本語で競技かるたのルールを説明した資料も用意していただきました。

高校生の一行と、直前まで原宿近辺を案内してくれていた日本学生協会(JNSA)基金の大学生達も加わって、総勢60名近くが桜花亭に到着し、いよいよイベントの開始です。

10畳二間と周りの廊下を使い、2組の競技者を囲むように座ってもらいました。簡単な開会の辞の後、矢野杏奈さんを紹介し、その中で彼女がチャンピオンだと言及すると、会場からは「ウォー」と歓声が上がりました。さらに矢野さんから他のメンバーの紹介があり、配った資料を使いながら、ルールの説明がありました。

驚いたことに、競技かるたはもとより、映画「ちはやふる」を知っている訪日高校生が10人近くいました。本当に世界は狭いと痛感します。そういえば慶應かるた会のメンバーのいで立ちは、正に映画のポスターと同じで、高校生達がワクワクしているのがみて取れました。

読み手の福井先生が二間の真ん中で札を読み上げ、時々注釈をつけての細かな解説をはさみながら、競技がはじまりました。

競技かるたのルールは、100枚の取札を裏にしてよく混ぜ、自分と相手が25枚ずつ取り、残り50枚はしまう。取り手はそれぞれ自分の前に自分に向けて25枚の取札を3段に並べ、競技前の15分間で、自分と相手の50枚の札の位置を暗記する。相手と読み手に礼をして競技が始まり、百人一首の上の句の「決まり字」まで読まれたところで下の句の札を、自陣か相手の陣まで取りに行き、自陣の札が先に無くなった方が勝ちになるというものです。

実際には時間の関係で取り札の数を減らして行いました。

驚いたのは音です。札を暗記している最中や試合の途中でも、まるでテニスや野球で素振りするように、自陣や相手陣に腕を伸ばして、振り回したり空を切ったり、時には肘をついて倒れ掛かるようなしぐさをし、畳をたたきます。

これはウォーミングアップのようなものだそうで、ひっきりなしに大きな音が会場に響きます。札の取り合いでも、札が大きく飛びかい、周りの高校生に当たったりして、格闘技を彷彿させる場面が何度もありました。それでもみな、興味津々で取り手の挙動を見つめていました。

40分位で勝負がついたところで、興味のある高校生達が実際に競技かるたの体験をしました。札は、「一字決まり」の「ムスメフサホセ」の7枚のみにしぼりましたが、読み札の方は7枚以上を読み上げるので、お手付きや、ひらがなの読み間違いや早とちり等があって、大騒ぎになりました。

矢野さんが持参した、日本各地の百人一首かるたも会場の床の間に並べ、皆さんに披露しました。面白いのは北海道のかるたで、札が紙ではなくて木でできていました(右端)。取り手がはじいた札がぶつかったら、本当に怪我しそうですね。

競技かるたに夢中になる人、少々飽きてきた人、着物姿の取り手に質問したり写真を撮ったりなど反応は様々でしたが、頃合いを見て記念写真を撮りました。

最後に読み札を使った「坊主めくり」を4グループに分かれて行いました。これが大変な人気で、お姫様をひいてはキャー、坊主をひいてはキャーと大はしゃきでした。

かるた会の学生さん、訪日高校生、JNSAの学生さん達がすっかり打ち解けて楽しそうな様子をみて、私達はホットしました。読み手をして下さった福井先生から、競技かるたはほとんど体育会系のスポーツと同じで、日々筋トレや柔軟体操で体を鍛える必要があるのに加え、記憶力の他に優れた聴力、動体視力などが要求される競技で、肩やひじの無駄な動きを減らし取り札に真っすぐに手を伸ばす訓練を日々行っているとうかがい、今若い人達に人気が出ている理由も納得できました。

1時間半のイベントはあっという間に過ぎ、JICE主催の研修旅行報告会の会場に移動するため、5時少し前に桜花亭を後にしました。

報告会
報告会はセンター棟にある会議室に移動して行いました。
グループごとに、どこへ行ったか、どんなことをしたかを代表が報告していました。日本での経験を共有するためです。

この報告会で、かけはしプロジェクトの公式の行事はすべておしまい。最後に関係者のあいさつがあって、無事に報告会は終了しました。高校生の皆さんは、発表の準備もあって忙しかったでしょう、お疲れさまでした。

これまで、JBSGのメンバーは報告会には参加したことがありませんでした。今回、この日程で行われることになり、報告会に参加して、高校生たちが日本に来て何を見て、どう感じたのか、生の声を聴くことができました。

代々木倶楽部で夕食
報告会が終わってホッと一息、代々木倶楽部に移動して夕食会が行われました。かるた会に参加したメンバーも一緒です。

テーブル席での食事だったので、皆ゆっくりとおしゃべりに花を咲かせて楽しめたと思います。

高校生のみなさんには、JBSGから百人一首の上の句と下の句(読み札と取り札)をペアにしたものを2組、百人一首の全句の意味が書いてある資料を添えて、プレゼントしました。

付き添いの先生方には、抹茶茶碗をプレゼントしました。また、矢野杏奈さんから寄贈された競技用かるたもプレゼントに。でも、これは1つしかないので、じゃんけんで誰がゲットするか決めています。

ジャパンボウルをきっかけに、研修旅行を通してこれまで全く知らなかった全米各地の高校生同士、さらにカナダの高校生、そして日本の学生さん達と知り合い、会話し、共感しあう、そんな情景をみて、ジャパンボウルの役割の大きさに、いまさらながら感心しました。

高校生たちは、付き添いの先生たちと共に、成田から明日の便で帰国します。今夜が日本最後の夜です。See you again, sometime, somewhere.

2018年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(1)

2018年のジャパンボウル大会での成績優秀者45名の高校生と引率の先生5名の計50名が、外務省が推進する対日理解促進プログラム「KAKEHASHI Project」によって、7月3日から11日まで日本に招聘され滞在しました。今年はアメリカのみでなく、カナダで初めて行われたジャパンボウル大会入賞者6名と引率の先生2名が、この中に含まれています。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)が、東京で協力をする前までの一行の足取りを、簡単に書いておきます。

一行は7月4日に成田に到着し、5日に外務省でオリエンテーションを受けたのち、AとBの2つのグループに分かれ、グループAは宮城県を、グループBは長崎県を訪れました。

グループAの主な訪問先は、東北大学に東日本大震災を契機に設立された「災害科学国際研究所(IRIDeS)」で、ここで震災の状況や研究内容の説明を受け、またキャンパスツアーや昼食会で大学生達と交流しました。石巻へ移動して、当地の被害や復興状況を見分し(下の写真)、ホームステイ先で2泊しました。

グループBの主な訪問先は長崎市で、ここで平和公園や原爆資料館を訪ね、被爆者からお話を聞きました(下の写真)。また諫早市の県立諫早高等学校の生徒と交流したのち、ホームステイ先で1泊しました。グループAと違って1泊なのは、このとき西日本を中心に襲った集中豪雨のために切り上げてホテルへ移動したためです。
2枚の写真は、JICEのアルバムからお借りしています。

グループAもBも、8日には東京に戻ってホテルに宿泊し、以降は一緒に行動します。9日は忙しい日程で、午前中にジャパンボウルの名誉総裁高円宮妃殿下を表敬訪問、午後は官邸を表敬訪問し、ホンダウェルカムプラザ青山を見学し、夜はワシントンDCの日米協会と国際交流基金主催の歓迎レセプションに出席しました。

歓迎レセプションに参加
7月9日の歓迎レセプションは、四谷の国際交流基金(JF)本部オフィスビル内の桜ホールで午後6時半から行われました。JBSGのメンバーも、このレセプションに参加し、元気な高校生達と楽しく交流を深めました。

レセプションには高校生の他、JBや研修旅行に関係の深い人達が招待されました。オープニングの前から会場のあちこちで楽し気な会話が弾んでいて、研修旅行で知り合った高校生同志が旅の後半で急速に親しくなっている様子が垣間見られました。

高円宮妃殿下の来場を拍手でお迎えし、ジャパンボウルディレクター神尾りささんの司会で会が始まりました。高校生達は午前中にすでに妃殿下を表敬訪問していることもあり、会場はアットホームな雰囲気に包まれていました。

妃殿下の温かい歓迎の言葉、 KAKEHASHI Projectを実施している国際交流基金の櫻井理事のお祝いの辞があり、続いてアメリカ、カナダの学生代表の見事な日本語による挨拶とお礼の言葉には、会場から盛大な拍手が湧きあがりました。

ワシントンDC日米協会、アメリカ、カナダ大使館からの来賓のご挨拶の後、全員で記念撮影を行いました。

飲み物や食べ物を片手に自由に歓談している最中、サプライズが起きました。なんと明日7月10日が妃殿下のお誕生日ということで、会場に大きなバースデーケーキが運ばれました。妃殿下がローソクを一気に吹き消された後は、ケーキは丁寧に切り分けられて出席者におすそ分けされ、妃殿下を囲んで学生さん達も大喜びでした。

宴もたけなわになった頃、杉本JBSG代表は「私を覚えていますか?」と突然声を掛けられました。見覚えのある顔を見て一瞬戸惑いましたが、思い出しました。2015年のジャパンボウルの最高レベルで優勝し、東京でホームステイをしたチームの一人、Leigh Williamsさんでした。

3年前、一緒に鎌倉の寿福寺等を回った記憶がよみがえりました。彼女は現在、早稲田大学に留学していて、このレセプションに先輩として招かれたとのことでした。JBSGが本格的に活動を始めた年の研修旅行で来日した高校生が、その後日本に留学して後輩達の活躍を見守っている姿をみて、ジャパンボウルが日米の懸け橋になっていることに思わず胸が熱くなりました。

屈託のない笑顔を見せる高校生達が、これからも親日家として活躍してくれることを祈りながら、会場を後にしました。

10日は高校生たちは、午前中、浅草浅草寺を拝観し、その後、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会を運営する大学生と合流してランチを食べ、明治神宮を拝観しました。この後いよいよ、JBSGが独自に企画したプログラムで、高校生たちのおもてなしなのですが、ページを改めて載せることにします。

2018年の全米ジャパンボウル大会

2018年全米ジャパンボウル大会の様子と結果

第26回全米ジャパンボウル大会が2018年4月12日-13日に、メリーランド州チェビー・チェイスにある、National 4H-Conference Centerにて開催されました。今年は全米15州とワシントンDCのJapanesePlus及びメキシコの30の高校の67チーム、206名の生徒が参加しました。

クイズ大会の流れは例年どおりで、「メンバーブログ」の ”第24回ジャパンボウル大会“ に詳しく記載してあるので、是非ご覧ください。また、今年も外務省の「KAKEHASHI Project」で多数の入賞者が日本に招聘されることが決定しています。

大会の詳しい報告書がすでにアメリカ日米協会のページに公表されています。上記ページの「About」をクリックして、「Past  3 Years」をクリックすると、PDFファイルで見ることができます。このページから直接、見ることができるようにしておきます。

今年の結果は以下の通りでした。

レベル 2(日本語学習歴2年)

1位  クパチーノ高校(カリフォルニア州)
2位  スチュイヴェサント高校(ニューヨーク州)
3位  タウンゼンド・ハリス高校(ニューヨーク州)
4位  リンブルック高校(カリフォルニア州)
5位  トーマス・ジェファーソン高校(ヴァージニア州)

レベル 3(同3年)

1位  ラングレイ高校(ヴァージニアア州)          2位 スチュイヴェサント高校(ニューヨーク州)
3位  クパチーノ高校(カリフォルニア州)
4位 トーマス・ジェファーソン高校(ヴァージニア州)     5位  リンブルック高校(カリフォルニア州)

レベル 4(同4年)

1位  クパチーノ高校(カリフォルニア州)
2位  リンブルック高校(カリフォルニア州)
3位  スチュイヴェサント高校(ニューヨーク州)          4位  トーマス・ジェファーソン高校(ヴァージニア州)      5位 タウンゼンド・ハリス高校(ニューヨーク州)

各レベルで入賞チームを輩出したリンブルック高校が、素敵な映像を作っています。これを見るとジャパンボウルに懸ける高校生と先生の熱意、努力、チームの絆が見て取れます。また試合に臨む緊張、笑顔の表情などからジャパンボウル大会の様子が良く分かります。是非ご覧ください。

JBSG主催「PAPER LANTERNS」上映会のお知らせ

今日、8月6日は広島の「原爆の日」です。広島市中区の平和記念公園では、原爆投下時刻の8時15分に参列者が黙祷し、広島市長が「平和宣言」を読み上げました。その中で、「昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。」と自国第一主義への懸念を表明されています。

思い返せば2年前の5月27日、伊勢志摩でのG7を終えて広島に入ったオバマ前大統領は、アメリカ大統領として初めて平和記念公園を訪れ、原爆資料館を見学したのち、献花をして演説をしました。その折、日本被団協の坪井直代表と言葉を交わしたあと、一人の被爆者の老人を抱き寄せました。その写真が世界中に配信されましたが、日本では多くの人が、「この人はだれ?」と思ったようです。

この人、森重昭さんも、原爆投下により自らも被曝して九死に一生を得た被爆者です。ただそれ以上に、この場でオバマ前大統領が彼を抱擁したのには理由があります。森さんはその後、当時、12名のアメリカ兵の捕虜が広島にいて、被曝して死亡したことを知ります。しかしこのことはアメリカ側ではほとんど知られていませんでした。森さんは、勤めの傍ら40年かけて一人でコツコツと調査をして、捕虜がどのような経緯で広島に連行されたのかなどを調査し、その遺族を探し出していきさつを伝えていきました。

このことを知ったアメリカ人のバリー・フレシェット監督が、これを題材としたドキュメンタリー映画を作りました。彼の親戚(大叔父)が米兵の一人と友人だったからです。タイトルは「PAPER LANTERN」(灯籠流し)。

今回、JBSGはこの映画の製作者であるピーター・グリーリ氏を招いて、上映会を開催する運びとなりました。JBSGのアドヴァイザーである久野明子氏が、グリーリ氏と知己だからです。

映画会はまだ少し先の11月13日(火)ですが、忘れないように手帳に印をつけて、上のFAX申込用紙を使い、申し込みをしてください。当日、会場でお会いしましょう、お待ちしています。締め切りは10月31日です。

この映画の予告編です(英語版)。画面の再生ボタンをクリックしてください。

次のサイトに、バリー・フレシェット監督によるこの映画のメイキングのビデオクリップがアップされています。
https://vimeo.com/177307252

このサイトには、このほかにも関連するいくつかのビデオクリップがアップされていて、観ることができます。

ホストファミリーとの意見交換会を開催

2018年1月27日(土)の午前10時から12時まで、渋谷区総合文化センター大和田の8階にある「渋谷男女平等・ダイバーシティセンター〈アイリス〉」内の会議室において、ホストファミリーとの意見交換会を行いました。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)は、活動の1つに、「ジャパンボウルで優勝したチームに与えられる、日本研修旅行中のホームステイ先や見学先等を提案する」ことを謳っています。

ちょうどJBSGが活動を始めた2014年から、ジャパンボウルは外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「KAKEHASHI Project」に採択され、多数の入賞者が日本に招聘されるようになり、研修旅行が実現しています。また、最高レベルの優勝者達は、MAZDA Foundationの基金によりKAKEHASHI Projectによる研修終了後、さらに数日間、東京に滞在できる特典がありました。JBSGではこの東京滞在期間中のホームステイ先を紹介してきました。

これまで、ホームステイ先を何とか見つけてきましたが、毎年、確保するのは想像以上に大変でした。そこには東京の住宅事情が関係しています。

1チーム3名の学生さんを、一手に引き受けて下さるホストファミリーは、そう簡単にはいません。できれば同年代の子弟がいらっしゃるのが望ましいですし、複数のご家庭に分散する場合は、あまり距離が離れていないことが条件となります。チーム構成が男女混ざっている場合も同様です。

また、KAKEHASHI Projectにより来日の日程が決まるのですが、なかなか最終決定が出ず、日程が決まってから来日までの期間が短いため、いつもギリギリになってホストファミリーを決めなければならないという離れ業の連続でした。JBSGメンバーあるいはメンバーの知人を介して、ホストファミリーに依頼するので、時にはジャパンボウルの事をほとんど知らない方にお願いする場合もありました。

そこで、これまでにホストファミリーを引き受けて下さった方々にお集まりいただき、ジャパンボウルやJBSGの活動を紹介し、忌憚のないご意見を伺うために、意見交換会を開催することにしたのです。JBSGからは8名が出席しました。

これまでに、2014年2名、2015年3名、2016年3名、2017年5名の学生さんを受け入れて下さったホストファミリーは5家族でしたが、そのうちの3家族の代表の方の出席があり、いろいろなご意見や質問をいただきました。主なものは以下の通りでした。

* 事前に食事制限の連絡があったので良かった。
* 学生達との交流時間が予想より短かったので残念だった。
* 学生には事前にホームステイのガイダンスのようなものを行っているのか。
* 部屋の使い方が乱雑だったり、時間にルーズだったりした場合、どの程度注意をしてよいのか少しとまどった。

しかしどなたも、学生達はとても素直で可愛かったと感想を述べられ、ご自身もホームステイを楽しんで下さったことが良く分かりました。
この図は、ボーイスカウト日本連盟発行の「ホームステイの手引き」よりお借りしています。

意見交換会の後、皆さんのご意見を踏まえ、JBSGとしてホームステイを引き受けて下さる方へのガンドラインになるような資料を作成しました(別ウィンドウで開きます)。これにより、今まで明確でなかった細かな点を文書化することができました。今後は、この文書を事前に渡して、学生さんとホストファミリー双方が、気持ちよく過ごせるようにしたいと考えています。

日本で初めてのジャパンボウル大会

2017年11月5日(日)に、日本で初めととなるジャパンボウル大会が、京都外国語大学で開催されました。JBSGのメンバーは、2012年のワシントンDCでの全米ジャパンボウル大会の観戦を思い出しながら、京都外国語大学に赴きました。

初めは日本でジャパンボウル大会?と思っていましたが、日本に来ている滞在歴5年以内の留学生(高校生、大学生、大学院生、日本語学校の学生)を対象としたクイズ大会だと知り、合点が行きました。

この大会は、京都外国語大学創立70周年の記念事業の一環として、京都外国語大学日本語学科が企画したもので、当日は学生スタッフが企画する「ジャパン・ウイーク」が同時に開催されていました。会場は森田記念講堂で午前中に予選、午後から敗者復活戦、準決勝があり、午後3時から開会式、決勝戦、表彰式が行われました。私達は3時からの決勝戦を観戦しました。

開会式は、京都外国語大学のチアガールの皆さんの華やかな演技で始まり、男女2名の元気で若々しい学生さんが進行役を務めました。

主催者の挨拶や来賓の方々の祝辞の後、ジャパンボウルの名誉総裁、高円宮妃久子様のご臨席をもって決勝戦が始まりました。

大会の形式は全米ジャパンボウル大会に準じたもので、決勝戦は3チームで行われました。事前に大学のホームページ上に出題範囲が提示されていたとは言え、中にはかなり難しい問題も含まれていましたが、決勝戦に残ったチームだけあって、どの問題にも素早く回答し、なかなかの熱戦でした。
京都外国語大学のページからお借りしています)

出場チームには、それぞれ「風林火山」のような歴史好きを思わせるもの、「35億」「ほんまー」のように今の時代を反映したもの、とユニークなチーム名が付いていて、それぞれチームの特徴が出ていて楽しめました。決勝に残った3チームは、いずれも韓国、中国の学生さん達で、中でも優勝したチームの3名は、日本語はもとより、日本の様々な事を実によく知っていて感心しました。

全米ジャパンボウルは高校生が対象ですが、全日本ジャパンボウルは主に大学生、大学院生が中心ということもあり、会場の雰囲気は比較的静かでしたが、終始和やかな笑いに包まれていました。
京都外国語大学のページからお借りしています)

休憩時間に独唱があったり、閉会式では客席を巻き込んで全員で「ハナミズキ」の歌をうたったりと、この大会を教職員・学生が一丸となって盛り上げる試みが随所にみられ、全日本ジャパンボウル大会が、これから継続して行われることを期待して、会場を後にしました。

大学の発表によると19チーム、57名が参加し、中国、韓国、カナダ、イタリアの留学生の参加があったそうです。2016年のポーランドを皮切りに、急速に世界各地で開催され始めたジャパンボウル大会が遂に日本でも開催され、いよいよ次はジャパンボウル世界大会の開催に期待が膨らみます。

なお、全日本ジャパンボウル大会に関しては、以下のサイトに報告が載っています。
https://japanbowl.wixsite.com/kufs/report