第2回JBSG主催の講演会を開催

予告でお知らせしたように、2017年5月20日(土)に、渋谷男女平等・ダイバーシティーセンター(アイリス)で、JBSG主催の第2回講演会を開催しました。今回は、日米協会副会長の久野明子さんに、「日本初の女子留学生大山捨松―その生涯と先進性―」というタイトルで講演していただきました。

講演に先立ち、ジャパンボウル大会の最新の情報と今後の予定などをジャパンボウル(JB)ディレクターの神尾りささんが紹介し、続いて昨年度のJBSGの活動を代表の杉本昭子さんが報告しました。
さて本題の講演です。歴史好き、特に幕末から明治にかけての時代に興味のある方達の、期待に満ちた眼差しの中で、講演は始まりました。

久野明子さんは、「日本の女性で最初にアメリカの大学を卒業した人は誰?」というアメリカの友人の問いかけがきっかけとなり、曽祖母である大山捨松の波乱に満ちた人生の軌跡を調べ、「鹿鳴館の貴婦人 大山捨松」(中公文庫)を執筆されました。

今回の講演はその時に集めた資料や写真をもとに、捨松の生涯を動乱の明治という時代背景を踏まえて紹介し、彼女の生き方から「先進性」に焦点を当てて、お話されました。

大山捨松は会津藩士の娘として1860年に生まれ、8歳で戊辰戦争(会津戦争)を体験します。このあたり、NHK大河ドラマ「八重の桜」を思い出しますね。もっとも八重は戊辰戦争の時すでに23歳でした。山川さき(捨松の幼名)も籠城して負傷兵の手当てなどを手伝っています。

さて、捨松は11歳で明治政府の命を受けて渡米し、19歳で東部の名門大学であるヴァッサー・カレッジ(当時は女子大学)に入学します。下の写真は留学時のもので、右端が捨松です(Wikipediaより)。

次の写真は1862年当時のヴァッサー・カレッジと現在のヴァッサー・カレッジ(Main Building)です。キャンパスが美しいことで有名です。

捨松は優秀な学業で学生生活を過ごし、卒業生総代で演説するほど活躍します。卒業後はさらにコネチカット看護婦養成学校に一年近く通っています。その後、10年にわたるアメリカ留学を終えて、1882年に帰国します。次の写真は帰国報告のために参内したときの写真(Wikipediaより)。

帰国後、薩摩藩士であった陸軍卿大山巌氏に請われて結婚、鹿鳴館の華と謳われ、華族女学校設立や、津田英語塾(津田塾大学)設立にかかわり、日本の女子教育の向上に腐心し、日露戦争勃発時には、日赤篤志看護婦人会理事として救援活動を行います。このような経歴を聞けば、華麗な人生を謳歌したと思いがちですが、違うんです。次の写真は鹿鳴館時代のもの(Wikipediaより)

当時の日本は欧米に比べ近代化が大きく遅れ、開国したばかりの明治政府は右往左往している時代でした。11歳で渡米した賢明な少女は、自由で民主的なアメリカでのびのびと育って行きます。言葉は日本語より英語が堪能で、価値観も考え方も日本とはまるで異なっていました。「八重の桜」では、ハーフの水原希子がそんな捨松を演じていましたね。

政府により選ばれた国費留学生としての自負と気概を持って、頑張り続けた10年の後に、日本に帰ってみれば彼女達に期待されていたポストは皆無という状態でした。明治政府の女子留学生派遣の目的は、北海道開拓事業に必要な優れた人材(男子)を生む女性を育成するための実験台だったと久野さんは述べています。

アメリカで学んだことを役立てたいと考える捨松にとって、日本社会の構造は大きな壁となっていたはずです。しかし、彼女は国費留学生としての責務と義務、女性としての幸せを熟慮し結婚し、大山巌夫人としての立場でできる最大の社会貢献のあり方を模索していきます(寄付金集めのための鹿鳴館慈善会開催、有志共立病院看護婦教育所の設立援助、日本赤十字社での看護活動、女子英学塾、後の津田塾大学設立援助など)。
錦絵新聞に掲載された慈善会のようす(Wikipediaより)

彼女の行動の原動力となっているのは、時代を見据えた「先進性」にあると思います。ヴァッサー大学の卒業論文のテーマは、国際政治であり、総代で演説した論文は「イギリスの日本に対する外交政策」で、この演説はアメリカの新聞でも大きく取り上げられたほどでした。

先進性を持つには、物事を広い範囲から捉え、重要度を選択し、できるだけ正しい予測を立てる必要があります。捨松の生まれ持った能力と、アメリカ留学で得た幅広い知識が、彼女の先進性を作り上げたと考えられます。

講演はこのような内容でした。いつの時代でも、個人が置かれた環境の中で、様々な制約があると思いますが、制約を受けながらでもできる事、成し遂げられる方策をみつけ、進むべき道を歩む人の素晴らしさを感じ、その姿勢に少しでも近づけられたらと、思わず背筋を伸ばして講演を聞いていました。

講演後、質疑応答の時間を設け、お茶とお菓子をいただきながら、久野さんと参加者との交流を深めました。参加者からは講演に対しての質問、ご意見、さらに留学希望の若い学生さんからもいろいろな質問がありました。