「活動報告」カテゴリーアーカイブ

生徒たちの見学先を探して

年が明けてもう4月も半ばになってしまいました。今年もジャパンボウルが開かれ、成績優秀者たちが日本にやってくるでしょう。これまで、様々な催しを行い、日本文化に触れられるような見学先を選定し、案内してきました、例えば、歌舞伎座とか日本伝統工芸館、東京江戸博物館など。新しい見学先を開拓するために、いくつか下見をしてきました。その報告です。

1つ目は、東京工芸大学杉並アニメーションミュージアムです。3月1日にJR中央線西荻窪駅と西武線上井草駅の中間にある施設に行ってきました。この施設は、杉並区の施設ですが、東京工芸大学がネーミング権を得て、大学名が冠せられています。

ホームページより

「日本のアニメの歴史」から「これからのアニメ」まで、アニメ全体を総合的に紹介する施設として平成17年3月に開館しました。アニメーションの原理が体験できるコーナー(パラパラアニメ)や、デジタルワークショップ体験ができるコーナー(コンピューターを使って色塗りや編集)など、アニメーション制作の過程を体験できるようになっています。小さなアニメシアターもあります。懐かしいところでは、「鉄腕アトム」関連の展示もあります。一回りすると、アニメの原理が、人間の視覚の持続性(残像)を巧みに利用したものだということが良く分かる仕掛けになっていますが、このミュージアム、幼児から中学生位の子供達に喜ばれそうな気がしました。

もう一つは、お台場に開設された「チームラボ・ボーダーレスお台場」という施設で、4月15日に行ってきました。この施設は、「境界のない1つの世界の中で、さまよい、探索し、発見する」と名打っていて、流れ、移動する光と画像の満ち溢れた、境の見えない空間の中を彷徨う体験ができるようになっています。たとえば、こんな景色です。実際は、これらの像が動いています。

あるいは、こんな景色。壁だけでなく、天井も床も、図柄で埋め尽くされています。

また、自分で型紙に色付けした絵をスキャンして読み込ませると、その絵が他の多数の絵と共に飛び交います。こんな絵です。

丁度、万華鏡の中に入ったような不思議な空間を彷徨うことになるのですが、絶え間ない光と音の洪水の中でちょっと疲れました。若者にはいいのかもしれませんが。実際の雰囲気を見せてくれているYouTubeの動画にリンクしておきます。著作権はteamLab Planets TOKYOにあります。

YouTubeのteamLab Planets TOKYOの動画

JBSG主催の映画上映会を開催しました

11月13日(火曜日)、JBSGの催しとしては初めての映画上映会を聖心女子大学ブリット記念ホールで開催しました。私達が選んだ映画は「灯籠流し PAPER LANERNS」、40代のアメリカ人、バリー・フレシェット(Barry FRECHETTE)監督のデビュー作となるドキュメンタリー映画です。

この映画は、「1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾の犠牲者14万人余りの中に12名の米兵捕虜が含まれていたことは、日本でも米国でもほとんど知られていなかった。この事実を知ったアマチュア歴史家で自らも被爆者である森重昭さんは、40年以上かけて米兵の遺族をたった一人で探し当て、被爆して亡くなった米兵捕虜12名に敬意を表し、遺族との交流を通して、何が起こったのかを伝えた地道な活動」をまとめたものです。

当日は、この映画のプロデューサーを務めたピーター・グリーリ氏にお出でいただき、日米協会副会長で、私達JBSGのアドヴァイザーの久野明子氏とのトークショーも行いました。プログラムは3部構成で、上映前後にトークショー、その後には客席の皆様を交えてのQ&Aの時間を設けました。

〇上映前のトークショー

久野さんとグリーリーさんは幼馴染で、気心が分かっているため、会話は全くの自然体で、スムーズに進行し、私達が知りたかったことがよくわかりました。

「森さんの活動を、バリー・フレシェット監督がどうして知りえたのか」という疑問は、この映画に登場する被爆米兵の一人、ノーマン・ブリセットさんの親友が、バリー監督の大叔父で、その大叔父さんから森さんの活動を知り、森さんの真実を突き止める活動の軌跡を映画に残したいと思ったからだと分かりました。

また、この映画はアメリカ各地で上映され大好評を得ていることから、「戦勝国のアメリカ人、原子爆弾を落とした側のアメリカ人は、一体この映画の何処に感動しているのか」という疑問に対するグリーリーさんの答えも印象的でした。「その質問は日本で度々受けます。答えは日本の皆さんが感じていることと全く同じです」でした。私達は戦勝国、敗戦国ととかく分けて考えがちですが、この映画を観た人々の感想にはその区別は全く当てはまらないのだということが分かりました。

終戦直後の1947年から59年まで日本で過ごされたグリーリーさんと、ご近所だった久野さんが、家族ぐるみのお付き合いの中で何のこだわりもなく幼馴染として現在に至るまで親しい関係を続けていらっしゃることを考えても、戦争は敵味方を分けるけれど、人間の本質はそんな分け方を超えられることを証明しているように思います。

〇上映

映画は、森さんの奥様が淡々とインタビュアーにお茶を入れていらっしゃるシーンから始まります。森さんご夫妻が活動の動機や様子を淡々と話し、被爆米兵ノーマン・ブリセットさん、ラルフ・ニールさんの遺族、友人が静かな語り口で死者への思い、家族の思いを語り、森さんと遺族達との交流の様子をカメラは丁寧に追います。

映画は2016年5月にオバマ大統領(当時)が広島の平和記念公園を現職大統領として初めて訪問し、「核兵器のない世界」にむけたスピーチをし、森さんと固く抱擁を交わすシーンで終わります。映画の最後に森さんが、「これが戦争なのだ。戦争は絶対にしてはいけないという結論を学びました。今後とも世界が平和であることを祈りましょう」と語るシーンがあります。見終わった後、この言葉が深く響いてきます。全編に流れる音楽、尺八の音も印象深いものでした。

〇上映後のトークショーとQ&A

この作品は、2016年5月のオバマ大統領訪日の前には完成していましたが、大統領と森重昭氏の抱擁シーンの写真が世界中に配信され、大きな反響を呼んだことから、映画の編集をし直したこと、英語がそれ程堪能ではない森さんがホワイトハウスに直訴の手紙を送ったり、電話帖から苗字が合致する人に片っ端から電話をしたりして、遺族を探し当てる努力がいかに大変だったかが分かるエピソードが紹介されました。

QAでは、「グリーリーさんがこの映画から得た物は?」という会場からの質問に対して、「自分は大した事はできないと思っている多くの人に対し、“普通のひとでも、信念をもって努力をし続けることで、大きな仕事をなしえる”ということを、森さんが証明してくれたこと」と話されました。正にその通りだと思いました。

〇終わりに

上映会終了後、多くの方々から「素晴らしい映画だった」との感想をいただきました。若い方の中には「涙が止まらなかった」という感想を述べた方もいらっしゃいました。

あらためて映画の持つ力に感銘を受けました。心配したお天気も、どうやら雨にはならず、予想を上回る200名近くの方に足を運んでいただきました。皆様に心から感謝いたします。

第1回アメリカボウル大会のお手伝い

7月22日付の毎日新聞朝刊(東京版)の社会面に、上記の記事が載ったのに気が付いた方はいましたか? この記事にあるように、7月21日に、第1回のアメリカボウル大会が港区区民センターで開催されました。大会の主催は日米協会(一般社団法人)で、ANAの協賛のもと、外務省、アメリカ大使館、全英連、ワシントンDC日米協会が後援しました。JBSGのメンバーもこの大会の開催前の宣伝、当日の運営にと、幅広く協力しました。

アメリカボウル大会は、アメリカから始まって、今や世界各地で開催されているジャパンボウル大会にならって、アメリカについて深く理解してもらうために、アメリカの歴史、文化、芸術、地理、科学、日米関係などの知識についてのクイズが出題され、各高校からの参加者が3人ないし2人一組のチームを組んでこのクイズに答え、優勝を目指すというものです。これは2017年に100周年を迎えた日米協会の記念事業の一つとして企画されたものです。

協会は募集要項が裏に印刷されたチラシを作成し、東京とその近県の高等学校に配布し、参加者を募りました。JBSGもチラシの配布に協力しました。
初めは参加者がどのくらい集まるか見通せず心配しましたが、締め切り時には68の高等学校から申し込みがあり、約270名の参加となりました。当日は朝9時からの受付なので、JBSGのメンバー6人はそれより早く会場に到着して受付のテーブルを準備し、勇んで会場にやってきた高校生をテキパキとさばきました。と言いたいところですが、実際は、事前に渡された資料の指示に従い、受付リストの高校名と人数を照合し、座席番号表、アンケート付きバインダー、氏名札、お弁当引換券等を渡す作業を、あたふたしながら必死に行い、定刻までに何とか全員を会場に入れることができました。

午前中は予選で、筆記形式で出際されました。各チームに1組の解答用紙が配布され、スライドで出際される問題に、チーム内で相談しながら、30秒以内に英語で答えていくという形式です。

予選が終わると昼食です。昼食は2グループに分かれ、第1グループが昼食の時は第2グループが35分のカルチャーイベントに参加し、時間が来ると昼食とイベントを交代する2部制をとっています。JBSGのメンバーはお弁当の受け渡しの役を担い、引換券を持った高校生や引率の先生にお弁当とお茶を、こちらはテキパキと渡すことができました。

カルチャーイベントは実際には観ていないので詳しくはわかりませんが、聞いたところによると、配布された用紙に様々な内容の質問が、たとえば「昨日パスタを食べましたか?」というように英語で記載されていて、その質問に当てはまる人を探し、ビンゴのようにマスを埋めていき、縦あるいは横がすべて見つかった人から景品がもらえるというものです。

主催者の話では期待以上に盛り上がり、参加者たちはお互いに親睦を深め、楽しんでいたそうです。

もっともその間に、審査員たちも採点をして集計し、順位をつけていたのですが。

午後2時に決勝進出チームの発表がありました。当初は3チームを予定していたのですが、同点のために5チームがステージに上がり、決勝戦となりました。

決勝戦には、日米協会名誉総裁である高円宮妃殿下も出席して、熱い戦いをご覧になりました。決勝戦は三択クイズ(下の写真)、オーラル問題、早押しクイズで構成されています。

オーラル問題では、例えば「What is your favorite American movie and why?」という設問に英語で答えていくというもので、特別審査員の方々の厳しい審査に、会場が大いに盛り上がりました。

これらの結果、開成高等学校チーム1が優勝し、賞状とメダルと共に、約1週間のアメリカ研修旅行の副賞が贈呈されました。

JBSGのメンバーは、順位が決まった瞬間から、贈呈式までの間に、賞状に高等学校名を墨で書くという、またもや裏方の仕事をしました。チームの数ではなく、チームの各メンバー分の数なので、大変だったのです。

このアメリカボウル大会は、ジャパンボウルと同じように、高校生がアメリカに興味を持ち、高校生同士が交流するよい機会となったのだと思います。

今回は裏方に徹した感じでしたが、参加した高校生達が本当に楽しそうにしている様子がよくわかりました。成功してよかったです。

日米協会による日本語と英語の報告がここに掲載されています。会場内の写真は、すべてそこからお借りしました。

2018年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(2)

JBSG主催の交流会を開催
7月10日(火)午後3時から、国立オリンピック記念青少年総合センターで、競技カルタの実演とワークショップ、続いて高校生による日本滞在中の報告会、その後、代々木倶楽部で夕食会と、てんこ盛りの活動でアメリカとカナダのジャパンボウル成績優秀者と交流する会を行いました。

競技かるたの実演とワークショップ
「競技カルタの実演とワークショップ」の会場は、センターの一角にある和室の平屋「桜花亭」です。床の間に用意した掛け軸と七夕の飾りをしつらえ、玄関口には蚊取り線香を焚いて、和の気分を盛り上げました。

「競技カルタの実演とワークショップ」を率いて下さるのは、全日本かるた協会主催の第48回全国女流選手権大会(2016年12月)において高校3年生で優勝し、今若手のホープと期待されている、慶應義塾大学1年生の矢野杏奈さんです。矢野さんと一緒に模範競技を実演して下さるのは、同大学 「慶應かるた会」のメンバー3名、読唱は東京東会、福井典子六段(A級公認読み手)です。実演者は全員袴姿の正装で高校生を迎えました。また、英語と日本語で競技かるたのルールを説明した資料も用意していただきました。

高校生の一行と、直前まで原宿近辺を案内してくれていた日本学生協会(JNSA)基金の大学生達も加わって、総勢60名近くが桜花亭に到着し、いよいよイベントの開始です。

10畳二間と周りの廊下を使い、2組の競技者を囲むように座ってもらいました。簡単な開会の辞の後、矢野杏奈さんを紹介し、その中で彼女がチャンピオンだと言及すると、会場からは「ウォー」と歓声が上がりました。さらに矢野さんから他のメンバーの紹介があり、配った資料を使いながら、ルールの説明がありました。

驚いたことに、競技かるたはもとより、映画「ちはやふる」を知っている訪日高校生が10人近くいました。本当に世界は狭いと痛感します。そういえば慶應かるた会のメンバーのいで立ちは、正に映画のポスターと同じで、高校生達がワクワクしているのがみて取れました。

読み手の福井先生が二間の真ん中で札を読み上げ、時々注釈をつけての細かな解説をはさみながら、競技がはじまりました。

競技かるたのルールは、100枚の取札を裏にしてよく混ぜ、自分と相手が25枚ずつ取り、残り50枚はしまう。取り手はそれぞれ自分の前に自分に向けて25枚の取札を3段に並べ、競技前の15分間で、自分と相手の50枚の札の位置を暗記する。相手と読み手に礼をして競技が始まり、百人一首の上の句の「決まり字」まで読まれたところで下の句の札を、自陣か相手の陣まで取りに行き、自陣の札が先に無くなった方が勝ちになるというものです。

実際には時間の関係で取り札の数を減らして行いました。

驚いたのは音です。札を暗記している最中や試合の途中でも、まるでテニスや野球で素振りするように、自陣や相手陣に腕を伸ばして、振り回したり空を切ったり、時には肘をついて倒れ掛かるようなしぐさをし、畳をたたきます。

これはウォーミングアップのようなものだそうで、ひっきりなしに大きな音が会場に響きます。札の取り合いでも、札が大きく飛びかい、周りの高校生に当たったりして、格闘技を彷彿させる場面が何度もありました。それでもみな、興味津々で取り手の挙動を見つめていました。

40分位で勝負がついたところで、興味のある高校生達が実際に競技かるたの体験をしました。札は、「一字決まり」の「ムスメフサホセ」の7枚のみにしぼりましたが、読み札の方は7枚以上を読み上げるので、お手付きや、ひらがなの読み間違いや早とちり等があって、大騒ぎになりました。

矢野さんが持参した、日本各地の百人一首かるたも会場の床の間に並べ、皆さんに披露しました。面白いのは北海道のかるたで、札が紙ではなくて木でできていました(右端)。取り手がはじいた札がぶつかったら、本当に怪我しそうですね。

競技かるたに夢中になる人、少々飽きてきた人、着物姿の取り手に質問したり写真を撮ったりなど反応は様々でしたが、頃合いを見て記念写真を撮りました。

最後に読み札を使った「坊主めくり」を4グループに分かれて行いました。これが大変な人気で、お姫様をひいてはキャー、坊主をひいてはキャーと大はしゃきでした。

かるた会の学生さん、訪日高校生、JNSAの学生さん達がすっかり打ち解けて楽しそうな様子をみて、私達はホットしました。読み手をして下さった福井先生から、競技かるたはほとんど体育会系のスポーツと同じで、日々筋トレや柔軟体操で体を鍛える必要があるのに加え、記憶力の他に優れた聴力、動体視力などが要求される競技で、肩やひじの無駄な動きを減らし取り札に真っすぐに手を伸ばす訓練を日々行っているとうかがい、今若い人達に人気が出ている理由も納得できました。

1時間半のイベントはあっという間に過ぎ、JICE主催の研修旅行報告会の会場に移動するため、5時少し前に桜花亭を後にしました。

報告会
報告会はセンター棟にある会議室に移動して行いました。
グループごとに、どこへ行ったか、どんなことをしたかを代表が報告していました。日本での経験を共有するためです。

この報告会で、かけはしプロジェクトの公式の行事はすべておしまい。最後に関係者のあいさつがあって、無事に報告会は終了しました。高校生の皆さんは、発表の準備もあって忙しかったでしょう、お疲れさまでした。

これまで、JBSGのメンバーは報告会には参加したことがありませんでした。今回、この日程で行われることになり、報告会に参加して、高校生たちが日本に来て何を見て、どう感じたのか、生の声を聴くことができました。

代々木倶楽部で夕食
報告会が終わってホッと一息、代々木倶楽部に移動して夕食会が行われました。かるた会に参加したメンバーも一緒です。

テーブル席での食事だったので、皆ゆっくりとおしゃべりに花を咲かせて楽しめたと思います。

高校生のみなさんには、JBSGから百人一首の上の句と下の句(読み札と取り札)をペアにしたものを2組、百人一首の全句の意味が書いてある資料を添えて、プレゼントしました。

付き添いの先生方には、抹茶茶碗をプレゼントしました。また、矢野杏奈さんから寄贈された競技用かるたもプレゼントに。でも、これは1つしかないので、じゃんけんで誰がゲットするか決めています。

ジャパンボウルをきっかけに、研修旅行を通してこれまで全く知らなかった全米各地の高校生同士、さらにカナダの高校生、そして日本の学生さん達と知り合い、会話し、共感しあう、そんな情景をみて、ジャパンボウルの役割の大きさに、いまさらながら感心しました。

高校生たちは、付き添いの先生たちと共に、成田から明日の便で帰国します。今夜が日本最後の夜です。See you again, sometime, somewhere.

2018年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(1)

2018年のジャパンボウル大会での成績優秀者45名の高校生と引率の先生5名の計50名が、外務省が推進する対日理解促進プログラム「KAKEHASHI Project」によって、7月3日から11日まで日本に招聘され滞在しました。今年はアメリカのみでなく、カナダで初めて行われたジャパンボウル大会入賞者6名と引率の先生2名が、この中に含まれています。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)が、東京で協力をする前までの一行の足取りを、簡単に書いておきます。

一行は7月4日に成田に到着し、5日に外務省でオリエンテーションを受けたのち、AとBの2つのグループに分かれ、グループAは宮城県を、グループBは長崎県を訪れました。

グループAの主な訪問先は、東北大学に東日本大震災を契機に設立された「災害科学国際研究所(IRIDeS)」で、ここで震災の状況や研究内容の説明を受け、またキャンパスツアーや昼食会で大学生達と交流しました。石巻へ移動して、当地の被害や復興状況を見分し(下の写真)、ホームステイ先で2泊しました。

グループBの主な訪問先は長崎市で、ここで平和公園や原爆資料館を訪ね、被爆者からお話を聞きました(下の写真)。また諫早市の県立諫早高等学校の生徒と交流したのち、ホームステイ先で1泊しました。グループAと違って1泊なのは、このとき西日本を中心に襲った集中豪雨のために切り上げてホテルへ移動したためです。
2枚の写真は、JICEのアルバムからお借りしています。

グループAもBも、8日には東京に戻ってホテルに宿泊し、以降は一緒に行動します。9日は忙しい日程で、午前中にジャパンボウルの名誉総裁高円宮妃殿下を表敬訪問、午後は官邸を表敬訪問し、ホンダウェルカムプラザ青山を見学し、夜はワシントンDCの日米協会と国際交流基金主催の歓迎レセプションに出席しました。

歓迎レセプションに参加
7月9日の歓迎レセプションは、四谷の国際交流基金(JF)本部オフィスビル内の桜ホールで午後6時半から行われました。JBSGのメンバーも、このレセプションに参加し、元気な高校生達と楽しく交流を深めました。

レセプションには高校生の他、JBや研修旅行に関係の深い人達が招待されました。オープニングの前から会場のあちこちで楽し気な会話が弾んでいて、研修旅行で知り合った高校生同志が旅の後半で急速に親しくなっている様子が垣間見られました。

高円宮妃殿下の来場を拍手でお迎えし、ジャパンボウルディレクター神尾りささんの司会で会が始まりました。高校生達は午前中にすでに妃殿下を表敬訪問していることもあり、会場はアットホームな雰囲気に包まれていました。

妃殿下の温かい歓迎の言葉、 KAKEHASHI Projectを実施している国際交流基金の櫻井理事のお祝いの辞があり、続いてアメリカ、カナダの学生代表の見事な日本語による挨拶とお礼の言葉には、会場から盛大な拍手が湧きあがりました。

ワシントンDC日米協会、アメリカ、カナダ大使館からの来賓のご挨拶の後、全員で記念撮影を行いました。

飲み物や食べ物を片手に自由に歓談している最中、サプライズが起きました。なんと明日7月10日が妃殿下のお誕生日ということで、会場に大きなバースデーケーキが運ばれました。妃殿下がローソクを一気に吹き消された後は、ケーキは丁寧に切り分けられて出席者におすそ分けされ、妃殿下を囲んで学生さん達も大喜びでした。

宴もたけなわになった頃、杉本JBSG代表は「私を覚えていますか?」と突然声を掛けられました。見覚えのある顔を見て一瞬戸惑いましたが、思い出しました。2015年のジャパンボウルの最高レベルで優勝し、東京でホームステイをしたチームの一人、Leigh Williamsさんでした。

3年前、一緒に鎌倉の寿福寺等を回った記憶がよみがえりました。彼女は現在、早稲田大学に留学していて、このレセプションに先輩として招かれたとのことでした。JBSGが本格的に活動を始めた年の研修旅行で来日した高校生が、その後日本に留学して後輩達の活躍を見守っている姿をみて、ジャパンボウルが日米の懸け橋になっていることに思わず胸が熱くなりました。

屈託のない笑顔を見せる高校生達が、これからも親日家として活躍してくれることを祈りながら、会場を後にしました。

10日は高校生たちは、午前中、浅草浅草寺を拝観し、その後、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会を運営する大学生と合流してランチを食べ、明治神宮を拝観しました。この後いよいよ、JBSGが独自に企画したプログラムで、高校生たちのおもてなしなのですが、ページを改めて載せることにします。

ホストファミリーとの意見交換会を開催

2018年1月27日(土)の午前10時から12時まで、渋谷区総合文化センター大和田の8階にある「渋谷男女平等・ダイバーシティセンター〈アイリス〉」内の会議室において、ホストファミリーとの意見交換会を行いました。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)は、活動の1つに、「ジャパンボウルで優勝したチームに与えられる、日本研修旅行中のホームステイ先や見学先等を提案する」ことを謳っています。

ちょうどJBSGが活動を始めた2014年から、ジャパンボウルは外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「KAKEHASHI Project」に採択され、多数の入賞者が日本に招聘されるようになり、研修旅行が実現しています。また、最高レベルの優勝者達は、MAZDA Foundationの基金によりKAKEHASHI Projectによる研修終了後、さらに数日間、東京に滞在できる特典がありました。JBSGではこの東京滞在期間中のホームステイ先を紹介してきました。

これまで、ホームステイ先を何とか見つけてきましたが、毎年、確保するのは想像以上に大変でした。そこには東京の住宅事情が関係しています。

1チーム3名の学生さんを、一手に引き受けて下さるホストファミリーは、そう簡単にはいません。できれば同年代の子弟がいらっしゃるのが望ましいですし、複数のご家庭に分散する場合は、あまり距離が離れていないことが条件となります。チーム構成が男女混ざっている場合も同様です。

また、KAKEHASHI Projectにより来日の日程が決まるのですが、なかなか最終決定が出ず、日程が決まってから来日までの期間が短いため、いつもギリギリになってホストファミリーを決めなければならないという離れ業の連続でした。JBSGメンバーあるいはメンバーの知人を介して、ホストファミリーに依頼するので、時にはジャパンボウルの事をほとんど知らない方にお願いする場合もありました。

そこで、これまでにホストファミリーを引き受けて下さった方々にお集まりいただき、ジャパンボウルやJBSGの活動を紹介し、忌憚のないご意見を伺うために、意見交換会を開催することにしたのです。JBSGからは8名が出席しました。

これまでに、2014年2名、2015年3名、2016年3名、2017年5名の学生さんを受け入れて下さったホストファミリーは5家族でしたが、そのうちの3家族の代表の方の出席があり、いろいろなご意見や質問をいただきました。主なものは以下の通りでした。

* 事前に食事制限の連絡があったので良かった。
* 学生達との交流時間が予想より短かったので残念だった。
* 学生には事前にホームステイのガイダンスのようなものを行っているのか。
* 部屋の使い方が乱雑だったり、時間にルーズだったりした場合、どの程度注意をしてよいのか少しとまどった。

しかしどなたも、学生達はとても素直で可愛かったと感想を述べられ、ご自身もホームステイを楽しんで下さったことが良く分かりました。
この図は、ボーイスカウト日本連盟発行の「ホームステイの手引き」よりお借りしています。

意見交換会の後、皆さんのご意見を踏まえ、JBSGとしてホームステイを引き受けて下さる方へのガンドラインになるような資料を作成しました(別ウィンドウで開きます)。これにより、今まで明確でなかった細かな点を文書化することができました。今後は、この文書を事前に渡して、学生さんとホストファミリー双方が、気持ちよく過ごせるようにしたいと考えています。

日本で初めてのジャパンボウル大会

2017年11月5日(日)に、日本で初めととなるジャパンボウル大会が、京都外国語大学で開催されました。JBSGのメンバーは、2012年のワシントンDCでの全米ジャパンボウル大会の観戦を思い出しながら、京都外国語大学に赴きました。

初めは日本でジャパンボウル大会?と思っていましたが、日本に来ている滞在歴5年以内の留学生(高校生、大学生、大学院生、日本語学校の学生)を対象としたクイズ大会だと知り、合点が行きました。

この大会は、京都外国語大学創立70周年の記念事業の一環として、京都外国語大学日本語学科が企画したもので、当日は学生スタッフが企画する「ジャパン・ウイーク」が同時に開催されていました。会場は森田記念講堂で午前中に予選、午後から敗者復活戦、準決勝があり、午後3時から開会式、決勝戦、表彰式が行われました。私達は3時からの決勝戦を観戦しました。

開会式は、京都外国語大学のチアガールの皆さんの華やかな演技で始まり、男女2名の元気で若々しい学生さんが進行役を務めました。

主催者の挨拶や来賓の方々の祝辞の後、ジャパンボウルの名誉総裁、高円宮妃久子様のご臨席をもって決勝戦が始まりました。

大会の形式は全米ジャパンボウル大会に準じたもので、決勝戦は3チームで行われました。事前に大学のホームページ上に出題範囲が提示されていたとは言え、中にはかなり難しい問題も含まれていましたが、決勝戦に残ったチームだけあって、どの問題にも素早く回答し、なかなかの熱戦でした。
京都外国語大学のページからお借りしています)

出場チームには、それぞれ「風林火山」のような歴史好きを思わせるもの、「35億」「ほんまー」のように今の時代を反映したもの、とユニークなチーム名が付いていて、それぞれチームの特徴が出ていて楽しめました。決勝に残った3チームは、いずれも韓国、中国の学生さん達で、中でも優勝したチームの3名は、日本語はもとより、日本の様々な事を実によく知っていて感心しました。

全米ジャパンボウルは高校生が対象ですが、全日本ジャパンボウルは主に大学生、大学院生が中心ということもあり、会場の雰囲気は比較的静かでしたが、終始和やかな笑いに包まれていました。
京都外国語大学のページからお借りしています)

休憩時間に独唱があったり、閉会式では客席を巻き込んで全員で「ハナミズキ」の歌をうたったりと、この大会を教職員・学生が一丸となって盛り上げる試みが随所にみられ、全日本ジャパンボウル大会が、これから継続して行われることを期待して、会場を後にしました。

大学の発表によると19チーム、57名が参加し、中国、韓国、カナダ、イタリアの留学生の参加があったそうです。2016年のポーランドを皮切りに、急速に世界各地で開催され始めたジャパンボウル大会が遂に日本でも開催され、いよいよ次はジャパンボウル世界大会の開催に期待が膨らみます。

なお、全日本ジャパンボウル大会に関しては、以下のサイトに報告が載っています。
https://japanbowl.wixsite.com/kufs/report

2017年度ジャパンボウル入賞者の日本研修旅行に協力(2)

1.入賞者歓迎レセプションに参加

7月25日(火)午後6時45分から、アメリカ大使館のアメリカンセンターで、ジャパンボウル入賞者、KAKEHASHI 研修旅行一行の歓迎レセプションが開催されました。このレセプションは、ワシントンDCの日米協会とアメリカ大使館の共催で、私達JBSGメンバーも招待され、高校生や関係者の方々と交流してきました。

今年はアメリカの政権が変わったせいか、会場内への持ち物が大幅に制限され、携帯電話やカメラの持ち込みが許可されなかったので、写真の撮影ができませんでした。そのため、レセプションの様子を写真でお伝えできませんが、高校生達は連日の猛暑にも負けず、お揃いのTシャツ姿で元気に会場に入ってきました。

ジェイソン・P・ハイランド首席公使の歓迎の辞、東京の日米協会会長藤崎一郎氏の祝辞、さらに、高円宮妃殿下久子様の歓迎の辞で、会場は大いに盛り上がりました。25年に及ぶジャパンボウルの活動が着実に実を結び、日米親善の役割の一翼を担っていることを、来賓の方々の言葉からも十分に感じ取れました。

ジャパンボウル入賞者で、現在日本で活動しているOBの方も招待されていて、何人かが後輩の来日を歓迎するスピーチを披露してくれました。彼らのスピーチの上手さは際立っていて、堂々とした姿に高校生達は憧憬の眼差しを向けていました。

その内の一人Tang-En Yenさんとお話することができました。彼は2008年のジャパンボウルに出場し、その後カリフォルニア大学デービス校でコンピューターサイエンスとエンジニアリングを学び、2014年に来日、楽天を経てkarabiner.incのDevOps(開発と運用)で開発に携わっている(当時)とのことで、ジャパンボウルの経験はとても貴重だったと、誇らしげに語ってくれました。

パーティーの間中、高校生達は彼の周りを取り囲み、皆の顔には笑顔があふれていました。高校生達にとって、日本で活躍する先輩達と直接話ができる機会が持てたことは素晴らしいことだったのだと強く感じました。

美味しいお料理を食べながら、日本語での会話を楽しみ、全員で写真を撮り、和やかなうちにレセプションは幕を閉じました。

2.ちゃんこ料理と江戸東京博物館見学

7月26日(水)、Kakehashi Projectsの一行は、午前中に研修旅行の報告会、総理官邸での表敬訪問を済ませ、成田から帰国の途に就きましたが、最上位レベル(レベル4)優勝2チームの5名は、28日まで東京に滞在しました。JBSGは、事前に東京でのホームステイ先を探す労を取り、26日の午後には数時間を使って彼らと一緒に過ごしました。

暑い真夏の東京で何処に案内しようかと思案した挙句、今年はJBSGメンバーに人気が高い、「江戸東京博物館」を見学してもらうことにしました。このプログラムには、24日の交流会にも参加して下さったJNSA「高円宮杯中学英語弁論大会」出場者OBの方々5名にも加わっていただきました。

両国にある博物館ですから、やはり昼食は両国でと考え、両国と言えば、国技館、お相撲という流れで、駅に隣接する「江戸のれん」内の「ちゃんこ霧島」でちゃんこ料理を食べました。

熱い鍋物で大丈夫かと心配しましたが、店内は冷房が効いていて、野菜、お肉たっぷりのちゃんこ料理は、バテ気味の体にも美味しく味わえました。

江戸のれんの中には実物大の土俵や、江戸情緒のあるお土産屋さんが並び、我々も喜んで散策しました。

食後徒歩数分で、江戸東京博物館に到着し、5階、6階の常設展で江戸時代の街並みや暮らしぶりを見てもらいました。江戸ゾーンでは英語のガイドをお願いし、小一時間、効率よく博物館内を動いて楽しんでもらいました。

その後、5階の東京ゾーンに移動し、江戸から東京へ時代の流れとともに変貌する様子を見学しました。東京ゾーンでは,JBSGのアドバイザーの久野明子さんに、案内と解説をお願いしました。

ここには鹿鳴館の模型があり、鹿鳴館の建物と庭園を上から見渡すことができます。さらに時間で建物の屋根がスライドしてライトがつき、なかで舞踏会のダンスが再現される仕掛けになっています。

会場が広いため、途中から集合場所を決めて自由に見学してもらいましたが、最後は全員相当くたびれました。(一人の学生さんが、博物館に入った直後から暑さと疲労のせいで気分が悪くなり、ずっと休んでいて心配しましたが、帰る頃には良くなり安心しました。)

江戸東京博物館見学終了後、5名の学生さんは、それぞれ3軒のホームステイ先までJNSAの学生さん達に付き添われて移動しました。

日本研修旅行も8日目となったこの日、うだるような暑さの中での江戸東京博見学が楽しかったのかどうか、元気な表情を見せてくれる優しい高校生達ですが、疲れが出ないかどうか少々気になりました。最後にまたいつか日本で会える日が来ることを願って別れました。

2017年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(1)

2017年4月のジャパンボウルで入賞した28名の高校生が、外務省が推進する青少年交流のための「KAKEHASHI Project」と「Mazda Foundation」によって、7月18日から26日まで日本に招聘されました。レベル4(最上位レベル)の優勝2チーム5名は、さらに延長して、29日まで滞在しました。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)が、東京で協力をする前までの一行の足取りを、書いておきます。

一行は19日に成田に到着、20日から23日まで長崎に滞在しました。この間、県立美術館で開催されたスタジオジブリ・レイアウト展を皮切りに、醤油工場を見学し、大浦天主堂や平和公園を訪れ、長崎県立大付属高等学校の高校生達と交流し、大村市でホームステイをしました。

大村市では、郷土料理の大村寿司作り、草スキーや竹馬乗り、着付けの体験をし、23日午後に東京に移動しました。

東京では、同世代の学生さん達との交流、アメリカ大使館主催のレセプションに出席、国会議事堂の見学をして、ジャパンボウル名誉総裁の高円宮妃殿下を表敬訪問しました。

私達JBSGは、東京での数日のプログラムに参加するとともに、独自に企画して、もてなしました。以下順にご紹介いたします。

JBSG主催の交流会

7月24日(月)の10:00-13:30まで、日本女子大学桜楓2号館 (東京都文京区目白台)において、交流会として茶道と折り紙のワークショップを行いました。茶道の講師は、裏千家の綿貫宗栄先生にお願いしました。

参加したのは、アメリカの高校生28名と付き添いの2名の先生、日本側からは、高円宮杯英語弁論大会出場経験者の大学生、日本女子大学の大学生・高校生達11名、会場設営や茶道のアシスタント等のボランティアとしてJBSGの協力者、それにKAKEHASHI Projectを主催する日本国際協力センター(JICE)の方々とJBSGのメンバーで、総勢60名近くになりました。

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開会の辞の後、アメリカの高校生達は受付で引いたくじにより、最初に茶道、後で折り紙を体験するグループと、逆に折り紙の後で茶道を体験するグループに分かれて、ワークショップが始まりました。

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茶道の部

茶道は、会場内にあるお茶室で1席15名、綿貫先生の歯切れのよい語り口で、茶道の概要、掛け軸、お花、器、お点前の意味や所作等が説明され、お点前を一通り見てもらいました。

客人役のJBディレクター神尾りささんの和服姿が、普段とは全然違うので、学生さん達から大きな歓声が上がりました。


当日は裏千家の玉置正子先生(日本文化スポーツ振興会監事)にも来ていただき、いろいろ助けていただきました。先ず、お点前の実演で3名にお茶を出し、残りの12名には水屋でお茶をたて、お運び役が美しい所作で順々に運び、全員にお茶を味わってもらいました。

お茶室での正座には、流石に閉口気味の学生さん達でしたが、意外にもお茶は美味しいと大好評でした。丁度長崎で着付けの体験をしたこともあり、和服姿で行う茶道の実演は楽しかったようです。皆の楽しんでいる様子をとくとご覧ください。

折紙の部

一方、折り紙のワークショップも予想以上に好評でした。

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最初に簡単な折り紙の歴史や、現在も使われている折る文化をスライドで説明しました。

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会場の隅にコーナーを設け、JBSGのメンバーが事前に折った作品を並べて置き、どの作品を作りたいかを決めて、各作品を実演するテーブルについてもらうように設定しました。

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指導するのは我々JBSGのメンバー達で、交流会直前に集まって特訓し“俄か講師”を務めました。アメリカの高校生の中で、折り紙の存在を知っている人はかなりいて、2016年にオバマ大統領が広島を来訪された際、“折り鶴”を折って持参されたエピソードも相まって関心が高まっているようでした。

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当初、男子学生さんには不評ではないかと心配しましたが、全員楽しそうに挑戦していました。跳ぶカエル、手裏剣等が人気を呼んでいました。

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また、韓国系のアメリカ人で、私達講師役も知らない”バラの花“を見事に折る器用な学生さんがいて、逆に我々日本人が彼女に教わる場面もありました。

この折り紙ワークショップは日本の学生さん達にも参加してもらい、教えたり教わったりと自然に交流が生まれ、会場は賑やかな笑い声に包まれました。

2つのグループともに茶道と折り紙の体験が終了したところで記念写真を撮影しました。

その後、ビュッフェ形式の昼食会となり、各自好きな食べ物を自由に取って、懇談しながら日本の食事を楽しんでもらいました。長崎で大村寿司を作る体験をしているので、酢飯にもすっかりなじんでいる様子でしたが、今年も1番人気はやはりカツサンドでした。

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最後はJBSGからのプレゼントとして、今回は全員に折り紙セットを贈りました。
学生さんからは、お礼のご挨拶と、ジャパンボウルグッズをいただき、交流会は無事終了しました。

第2回JBSG主催の講演会を開催

予告でお知らせしたように、2017年5月20日(土)に、渋谷男女平等・ダイバーシティーセンター(アイリス)で、JBSG主催の第2回講演会を開催しました。今回は、日米協会副会長の久野明子さんに、「日本初の女子留学生大山捨松―その生涯と先進性―」というタイトルで講演していただきました。

講演に先立ち、ジャパンボウル大会の最新の情報と今後の予定などをジャパンボウル(JB)ディレクターの神尾りささんが紹介し、続いて昨年度のJBSGの活動を代表の杉本昭子さんが報告しました。
さて本題の講演です。歴史好き、特に幕末から明治にかけての時代に興味のある方達の、期待に満ちた眼差しの中で、講演は始まりました。

久野明子さんは、「日本の女性で最初にアメリカの大学を卒業した人は誰?」というアメリカの友人の問いかけがきっかけとなり、曽祖母である大山捨松の波乱に満ちた人生の軌跡を調べ、「鹿鳴館の貴婦人 大山捨松」(中公文庫)を執筆されました。

今回の講演はその時に集めた資料や写真をもとに、捨松の生涯を動乱の明治という時代背景を踏まえて紹介し、彼女の生き方から「先進性」に焦点を当てて、お話されました。

大山捨松は会津藩士の娘として1860年に生まれ、8歳で戊辰戦争(会津戦争)を体験します。このあたり、NHK大河ドラマ「八重の桜」を思い出しますね。もっとも八重は戊辰戦争の時すでに23歳でした。山川さき(捨松の幼名)も籠城して負傷兵の手当てなどを手伝っています。

さて、捨松は11歳で明治政府の命を受けて渡米し、19歳で東部の名門大学であるヴァッサー・カレッジ(当時は女子大学)に入学します。下の写真は留学時のもので、右端が捨松です(Wikipediaより)。

次の写真は1862年当時のヴァッサー・カレッジと現在のヴァッサー・カレッジ(Main Building)です。キャンパスが美しいことで有名です。

捨松は優秀な学業で学生生活を過ごし、卒業生総代で演説するほど活躍します。卒業後はさらにコネチカット看護婦養成学校に一年近く通っています。その後、10年にわたるアメリカ留学を終えて、1882年に帰国します。次の写真は帰国報告のために参内したときの写真(Wikipediaより)。

帰国後、薩摩藩士であった陸軍卿大山巌氏に請われて結婚、鹿鳴館の華と謳われ、華族女学校設立や、津田英語塾(津田塾大学)設立にかかわり、日本の女子教育の向上に腐心し、日露戦争勃発時には、日赤篤志看護婦人会理事として救援活動を行います。このような経歴を聞けば、華麗な人生を謳歌したと思いがちですが、違うんです。次の写真は鹿鳴館時代のもの(Wikipediaより)

当時の日本は欧米に比べ近代化が大きく遅れ、開国したばかりの明治政府は右往左往している時代でした。11歳で渡米した賢明な少女は、自由で民主的なアメリカでのびのびと育って行きます。言葉は日本語より英語が堪能で、価値観も考え方も日本とはまるで異なっていました。「八重の桜」では、ハーフの水原希子がそんな捨松を演じていましたね。

政府により選ばれた国費留学生としての自負と気概を持って、頑張り続けた10年の後に、日本に帰ってみれば彼女達に期待されていたポストは皆無という状態でした。明治政府の女子留学生派遣の目的は、北海道開拓事業に必要な優れた人材(男子)を生む女性を育成するための実験台だったと久野さんは述べています。

アメリカで学んだことを役立てたいと考える捨松にとって、日本社会の構造は大きな壁となっていたはずです。しかし、彼女は国費留学生としての責務と義務、女性としての幸せを熟慮し結婚し、大山巌夫人としての立場でできる最大の社会貢献のあり方を模索していきます(寄付金集めのための鹿鳴館慈善会開催、有志共立病院看護婦教育所の設立援助、日本赤十字社での看護活動、女子英学塾、後の津田塾大学設立援助など)。
錦絵新聞に掲載された慈善会のようす(Wikipediaより)

彼女の行動の原動力となっているのは、時代を見据えた「先進性」にあると思います。ヴァッサー大学の卒業論文のテーマは、国際政治であり、総代で演説した論文は「イギリスの日本に対する外交政策」で、この演説はアメリカの新聞でも大きく取り上げられたほどでした。

先進性を持つには、物事を広い範囲から捉え、重要度を選択し、できるだけ正しい予測を立てる必要があります。捨松の生まれ持った能力と、アメリカ留学で得た幅広い知識が、彼女の先進性を作り上げたと考えられます。

講演はこのような内容でした。いつの時代でも、個人が置かれた環境の中で、様々な制約があると思いますが、制約を受けながらでもできる事、成し遂げられる方策をみつけ、進むべき道を歩む人の素晴らしさを感じ、その姿勢に少しでも近づけられたらと、思わず背筋を伸ばして講演を聞いていました。

講演後、質疑応答の時間を設け、お茶とお菓子をいただきながら、久野さんと参加者との交流を深めました。参加者からは講演に対しての質問、ご意見、さらに留学希望の若い学生さんからもいろいろな質問がありました。