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ホストファミリーとの意見交換会を開催

2018年1月27日(土)の午前10時から12時まで、渋谷区総合文化センター大和田の8階にある「渋谷男女平等・ダイバーシティセンター〈アイリス〉」内の会議室において、ホストファミリーとの意見交換会を行いました。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)は、活動の1つに、「ジャパンボウルで優勝したチームに与えられる、日本研修旅行中のホームステイ先や見学先等を提案する」ことを謳っています。

ちょうどJBSGが活動を始めた2014年から、ジャパンボウルは外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「KAKEHASHI Project」に採択され、多数の入賞者が日本に招聘されるようになり、研修旅行が実現しています。また、最高レベルの優勝者達は、MAZDA Foundationの基金によりKAKEHASHI Projectによる研修終了後、さらに数日間、東京に滞在できる特典がありました。JBSGではこの東京滞在期間中のホームステイ先を紹介してきました。

これまで、ホームステイ先を何とか見つけてきましたが、毎年、確保するのは想像以上に大変でした。そこには東京の住宅事情が関係しています。

1チーム3名の学生さんを、一手に引き受けて下さるホストファミリーは、そう簡単にはいません。できれば同年代の子弟がいらっしゃるのが望ましいですし、複数のご家庭に分散する場合は、あまり距離が離れていないことが条件となります。チーム構成が男女混ざっている場合も同様です。

また、KAKEHASHI Projectにより来日の日程が決まるのですが、なかなか最終決定が出ず、日程が決まってから来日までの期間が短いため、いつもギリギリになってホストファミリーを決めなければならないという離れ業の連続でした。JBSGメンバーあるいはメンバーの知人を介して、ホストファミリーに依頼するので、時にはジャパンボウルの事をほとんど知らない方にお願いする場合もありました。

そこで、これまでにホストファミリーを引き受けて下さった方々にお集まりいただき、ジャパンボウルやJBSGの活動を紹介し、忌憚のないご意見を伺うために、意見交換会を開催することにしたのです。JBSGからは8名が出席しました。

これまでに、2014年2名、2015年3名、2016年3名、2017年5名の学生さんを受け入れて下さったホストファミリーは5家族でしたが、そのうちの3家族の代表の方の出席があり、いろいろなご意見や質問をいただきました。主なものは以下の通りでした。

* 事前に食事制限の連絡があったので良かった。
* 学生達との交流時間が予想より短かったので残念だった。
* 学生には事前にホームステイのガイダンスのようなものを行っているのか。
* 部屋の使い方が乱雑だったり、時間にルーズだったりした場合、どの程度注意をしてよいのか少しとまどった。

しかしどなたも、学生達はとても素直で可愛かったと感想を述べられ、ご自身もホームステイを楽しんで下さったことが良く分かりました。
この図は、ボーイスカウト日本連盟発行の「ホームステイの手引き」よりお借りしています。

意見交換会の後、皆さんのご意見を踏まえ、JBSGとしてホームステイを引き受けて下さる方へのガンドラインになるような資料を作成しました(別ウィンドウで開きます)。これにより、今まで明確でなかった細かな点を文書化することができました。今後は、この文書を事前に渡して、学生さんとホストファミリー双方が、気持ちよく過ごせるようにしたいと考えています。

日本で初めてのジャパンボウル大会

2017年11月5日(日)に、日本で初めととなるジャパンボウル大会が、京都外国語大学で開催されました。JBSGのメンバーは、2012年のワシントンDCでの全米ジャパンボウル大会の観戦を思い出しながら、京都外国語大学に赴きました。

初めは日本でジャパンボウル大会?と思っていましたが、日本に来ている滞在歴5年以内の留学生(高校生、大学生、大学院生、日本語学校の学生)を対象としたクイズ大会だと知り、合点が行きました。

この大会は、京都外国語大学創立70周年の記念事業の一環として、京都外国語大学日本語学科が企画したもので、当日は学生スタッフが企画する「ジャパン・ウイーク」が同時に開催されていました。会場は森田記念講堂で午前中に予選、午後から敗者復活戦、準決勝があり、午後3時から開会式、決勝戦、表彰式が行われました。私達は3時からの決勝戦を観戦しました。

開会式は、京都外国語大学のチアガールの皆さんの華やかな演技で始まり、男女2名の元気で若々しい学生さんが進行役を務めました。

主催者の挨拶や来賓の方々の祝辞の後、ジャパンボウルの名誉総裁、高円宮妃久子様のご臨席をもって決勝戦が始まりました。

大会の形式は全米ジャパンボウル大会に準じたもので、決勝戦は3チームで行われました。事前に大学のホームページ上に出題範囲が提示されていたとは言え、中にはかなり難しい問題も含まれていましたが、決勝戦に残ったチームだけあって、どの問題にも素早く回答し、なかなかの熱戦でした。
京都外国語大学のページからお借りしています)

出場チームには、それぞれ「風林火山」のような歴史好きを思わせるもの、「35億」「ほんまー」のように今の時代を反映したもの、とユニークなチーム名が付いていて、それぞれチームの特徴が出ていて楽しめました。決勝に残った3チームは、いずれも韓国、中国の学生さん達で、中でも優勝したチームの3名は、日本語はもとより、日本の様々な事を実によく知っていて感心しました。

全米ジャパンボウルは高校生が対象ですが、全日本ジャパンボウルは主に大学生、大学院生が中心ということもあり、会場の雰囲気は比較的静かでしたが、終始和やかな笑いに包まれていました。
京都外国語大学のページからお借りしています)

休憩時間に独唱があったり、閉会式では客席を巻き込んで全員で「ハナミズキ」の歌をうたったりと、この大会を教職員・学生が一丸となって盛り上げる試みが随所にみられ、全日本ジャパンボウル大会が、これから継続して行われることを期待して、会場を後にしました。

大学の発表によると19チーム、57名が参加し、中国、韓国、カナダ、イタリアの留学生の参加があったそうです。2016年のポーランドを皮切りに、急速に世界各地で開催され始めたジャパンボウル大会が遂に日本でも開催され、いよいよ次はジャパンボウル世界大会の開催に期待が膨らみます。

なお、全日本ジャパンボウル大会に関しては、以下のサイトに報告が載っています。
https://japanbowl.wixsite.com/kufs/report

世界各地に広がりをみせるジャパンボウル大会

こんにちは。ジャパンボウル・ディレクターの神尾りさです。ワシントンDC日米協会は、1992年から、米国ワシントンDCで「全米ジャパンボウル大会」を開催していますが、昨年からジャパンボウル大会はアメリカを飛び出し、世界各地で開催されるようになりました。今回はその展開について、ご紹介させていただきます。

2016年より東芝国際交流基金の支援を得て、欧州各国でジャパンボウル大会が開催されました。2016年11月にはポーランド、翌2017年3月には、セルビア、イタリア、イギリスでジャパンボウル大会が初めて開催されました。また欧州以外でも、2017年2月、メキシコにおいてジャパンボウル大会が開催され、米国以外のジャパンボウル大会出場者数の合計は300名にも及び、ジャパンボウルにとって飛躍の年となりました(下の方に、各国の大会の様子を載せてあります)。

欧州各国のジャパンボウル大会は、全米ジャパンボウル大会をモデルとして開催されています。外国語として日本語を学ぶ高校生または大学生が、2名または3名のチームとなり、日本語能力のみならず、日本の文化、習慣、歴史、地理、時事、対日関係などの幅広い分野について、その知識を競いあいます。私たちは、各国の主催者に対し、問題の提供、開催のためのノウハウなどをアドバイスしながら、ともに準備を重ね、大会当日には実際に現地に赴き、指導も行います。

欧州各地やメキシコのジャパンボウル大会では、全米大会と同様、予選の筆記審査の結果、上位3チームが決勝戦に進み(イギリス大会においては予選のみ行われました)、決勝戦は早押し、個人戦、チーム戦で行われました。出題された問題をいくつかご紹介します。

Q: 節分の日に、鬼に向かって投げるものは何ですか。
A:

Q: これは、清少納言の絵姿です。この人が書いた本で、 996 年ごろに出た本の名前は何ですか。日本語、またはポーランドで答えなさい。
A: Makuranosooshi / Zapiski spod wezglowia

Q: 除夜の鐘は、何回鳴りますか。
A: 108回

ジャパンボウルの目的は、外国語として日本語を学ぶ高校生または大学生に、挑戦的でなおかつ日本語学習を楽しめる機会を与えること、知識を試すのみならず、知識を得る場とすること、日本文化の体験や、日本人と会う機会などを提供すること、卒業後も日本語学習を継続し、日本との個人的関係を持続してもらうことなどです。

多くの学習者にとって、日本語を話したり聞いたりする機会は日本語の授業中に限られますが、そのような学習者が年に一度、各地から集合し、それぞれの知識を最大限に活用して切磋琢磨できるのが、ジャパンボウル大会の魅力です。

2017年11月には京都外国語大学の主催で、日本滞在が5年以内の留学生を対象にしたジャパンボウル大会が開催される予定です。また来年にかけて、新しくフランスやブルガリアなどでの開催も予定されています。

2020年の東京オリンピック開催の年には、全世界のジャパンボウル優勝チームが日本に集い、「知の祭典」を開始することを目指しています。

今後とも、皆様からのご支援、ご協力をお願い申し上げます。

2017年5月30日
神尾りさ
rkamio@jaswdc.org

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ポーランド・ジャパンボウル大会
開催日:2016年11月6日
主催:在ポーランド日本国大使館、ポーランド日本語教師会
会場:在ポーランド日本国日本大使館広報文化センター

メキシコ・ジャパンボウル大会
開催日:2017年2月5日
主催:国際交流基金メキシコ日本文化センター
会場:社団法人日本メキシコ学院

バルカン・ジャパンボウル大会
開催日:2017年3月26日
主催:ベオグラード大学、日本南東欧経済交流協会
会場:ベオグラード大学

イタリア・ジャパンボウル大会
開催日:2017年3月29日
主催:イタリア日本語教師会
会場:Instituto Virgilio, Milano

イギリス・ジャパンボウル大会
開催日:2017年3月31日
主催:ジャパン・ソサエティー (在ロンドン)
会場:マンチェスター大学

メディアによる紹介
2017年3月26日 セルビア現地ローカルニュース (PTC)
2017年4月  1日  時事通信

2017年度ジャパンボウル入賞者の日本研修旅行に協力(2)

1.入賞者歓迎レセプションに参加

7月25日(火)午後6時45分から、アメリカ大使館のアメリカンセンターで、ジャパンボウル入賞者、KAKEHASHI 研修旅行一行の歓迎レセプションが開催されました。このレセプションは、ワシントンDCの日米協会とアメリカ大使館の共催で、私達JBSGメンバーも招待され、高校生や関係者の方々と交流してきました。

今年はアメリカの政権が変わったせいか、会場内への持ち物が大幅に制限され、携帯電話やカメラの持ち込みが許可されなかったので、写真の撮影ができませんでした。そのため、レセプションの様子を写真でお伝えできませんが、高校生達は連日の猛暑にも負けず、お揃いのTシャツ姿で元気に会場に入ってきました。

ジェイソン・P・ハイランド首席公使の歓迎の辞、東京の日米協会会長藤崎一郎氏の祝辞、さらに、高円宮妃殿下久子様の歓迎の辞で、会場は大いに盛り上がりました。25年に及ぶジャパンボウルの活動が着実に実を結び、日米親善の役割の一翼を担っていることを、来賓の方々の言葉からも十分に感じ取れました。

ジャパンボウル入賞者で、現在日本で活動しているOBの方も招待されていて、何人かが後輩の来日を歓迎するスピーチを披露してくれました。彼らのスピーチの上手さは際立っていて、堂々とした姿に高校生達は憧憬の眼差しを向けていました。

その内の一人Tang-En Yenさんとお話することができました。彼は2008年のジャパンボウルに出場し、その後カリフォルニア大学デービス校でコンピューターサイエンスとエンジニアリングを学び、2014年に来日、楽天を経てkarabiner.incのDevOps(開発と運用)で開発に携わっている(当時)とのことで、ジャパンボウルの経験はとても貴重だったと、誇らしげに語ってくれました。

パーティーの間中、高校生達は彼の周りを取り囲み、皆の顔には笑顔があふれていました。高校生達にとって、日本で活躍する先輩達と直接話ができる機会が持てたことは素晴らしいことだったのだと強く感じました。

美味しいお料理を食べながら、日本語での会話を楽しみ、全員で写真を撮り、和やかなうちにレセプションは幕を閉じました。

2.ちゃんこ料理と江戸東京博物館見学

7月26日(水)、Kakehashi Projectsの一行は、午前中に研修旅行の報告会、総理官邸での表敬訪問を済ませ、成田から帰国の途に就きましたが、最上位レベル(レベル4)優勝2チームの5名は、28日まで東京に滞在しました。JBSGは、事前に東京でのホームステイ先を探す労を取り、26日の午後には数時間を使って彼らと一緒に過ごしました。

暑い真夏の東京で何処に案内しようかと思案した挙句、今年はJBSGメンバーに人気が高い、「江戸東京博物館」を見学してもらうことにしました。このプログラムには、24日の交流会にも参加して下さったJNSA「高円宮杯中学英語弁論大会」出場者OBの方々5名にも加わっていただきました。

両国にある博物館ですから、やはり昼食は両国でと考え、両国と言えば、国技館、お相撲という流れで、駅に隣接する「江戸のれん」内の「ちゃんこ霧島」でちゃんこ料理を食べました。

熱い鍋物で大丈夫かと心配しましたが、店内は冷房が効いていて、野菜、お肉たっぷりのちゃんこ料理は、バテ気味の体にも美味しく味わえました。

江戸のれんの中には実物大の土俵や、江戸情緒のあるお土産屋さんが並び、我々も喜んで散策しました。

食後徒歩数分で、江戸東京博物館に到着し、5階、6階の常設展で江戸時代の街並みや暮らしぶりを見てもらいました。江戸ゾーンでは英語のガイドをお願いし、小一時間、効率よく博物館内を動いて楽しんでもらいました。

その後、5階の東京ゾーンに移動し、江戸から東京へ時代の流れとともに変貌する様子を見学しました。東京ゾーンでは,JBSGのアドバイザーの久野明子さんに、案内と解説をお願いしました。

ここには鹿鳴館の模型があり、鹿鳴館の建物と庭園を上から見渡すことができます。さらに時間で建物の屋根がスライドしてライトがつき、なかで舞踏会のダンスが再現される仕掛けになっています。

会場が広いため、途中から集合場所を決めて自由に見学してもらいましたが、最後は全員相当くたびれました。(一人の学生さんが、博物館に入った直後から暑さと疲労のせいで気分が悪くなり、ずっと休んでいて心配しましたが、帰る頃には良くなり安心しました。)

江戸東京博物館見学終了後、5名の学生さんは、それぞれ3軒のホームステイ先までJNSAの学生さん達に付き添われて移動しました。

日本研修旅行も8日目となったこの日、うだるような暑さの中での江戸東京博見学が楽しかったのかどうか、元気な表情を見せてくれる優しい高校生達ですが、疲れが出ないかどうか少々気になりました。最後にまたいつか日本で会える日が来ることを願って別れました。

2017年度ジャパンボウル入賞者の日本旅行に協力(1)

2017年4月のジャパンボウルで入賞した28名の高校生が、外務省が推進する青少年交流のための「KAKEHASHI Project」と「Mazda Foundation」によって、7月18日から26日まで日本に招聘されました。レベル4(最上位レベル)の優勝2チーム5名は、さらに延長して、29日まで滞在しました。

ジャパンボウルサポーターズグループ(JBSG)が、東京で協力をする前までの一行の足取りを、書いておきます。

一行は19日に成田に到着、20日から23日まで長崎に滞在しました。この間、県立美術館で開催されたスタジオジブリ・レイアウト展を皮切りに、醤油工場を見学し、大浦天主堂や平和公園を訪れ、長崎県立大付属高等学校の高校生達と交流し、大村市でホームステイをしました。

大村市では、郷土料理の大村寿司作り、草スキーや竹馬乗り、着付けの体験をし、23日午後に東京に移動しました。

東京では、同世代の学生さん達との交流、アメリカ大使館主催のレセプションに出席、国会議事堂の見学をして、ジャパンボウル名誉総裁の高円宮妃殿下を表敬訪問しました。

私達JBSGは、東京での数日のプログラムに参加するとともに、独自に企画して、もてなしました。以下順にご紹介いたします。

JBSG主催の交流会

7月24日(月)の10:00-13:30まで、日本女子大学桜楓2号館 (東京都文京区目白台)において、交流会として茶道と折り紙のワークショップを行いました。茶道の講師は、裏千家の綿貫宗栄先生にお願いしました。

参加したのは、アメリカの高校生28名と付き添いの2名の先生、日本側からは、高円宮杯英語弁論大会出場経験者の大学生、日本女子大学の大学生・高校生達11名、会場設営や茶道のアシスタント等のボランティアとしてJBSGの協力者、それにKAKEHASHI Projectを主催する日本国際協力センター(JICE)の方々とJBSGのメンバーで、総勢60名近くになりました。

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開会の辞の後、アメリカの高校生達は受付で引いたくじにより、最初に茶道、後で折り紙を体験するグループと、逆に折り紙の後で茶道を体験するグループに分かれて、ワークショップが始まりました。

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茶道の部

茶道は、会場内にあるお茶室で1席15名、綿貫先生の歯切れのよい語り口で、茶道の概要、掛け軸、お花、器、お点前の意味や所作等が説明され、お点前を一通り見てもらいました。

客人役のJBディレクター神尾りささんの和服姿が、普段とは全然違うので、学生さん達から大きな歓声が上がりました。


当日は裏千家の玉置正子先生(日本文化スポーツ振興会監事)にも来ていただき、いろいろ助けていただきました。先ず、お点前の実演で3名にお茶を出し、残りの12名には水屋でお茶をたて、お運び役が美しい所作で順々に運び、全員にお茶を味わってもらいました。

お茶室での正座には、流石に閉口気味の学生さん達でしたが、意外にもお茶は美味しいと大好評でした。丁度長崎で着付けの体験をしたこともあり、和服姿で行う茶道の実演は楽しかったようです。皆の楽しんでいる様子をとくとご覧ください。

折紙の部

一方、折り紙のワークショップも予想以上に好評でした。

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最初に簡単な折り紙の歴史や、現在も使われている折る文化をスライドで説明しました。

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会場の隅にコーナーを設け、JBSGのメンバーが事前に折った作品を並べて置き、どの作品を作りたいかを決めて、各作品を実演するテーブルについてもらうように設定しました。

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指導するのは我々JBSGのメンバー達で、交流会直前に集まって特訓し“俄か講師”を務めました。アメリカの高校生の中で、折り紙の存在を知っている人はかなりいて、2016年にオバマ大統領が広島を来訪された際、“折り鶴”を折って持参されたエピソードも相まって関心が高まっているようでした。

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当初、男子学生さんには不評ではないかと心配しましたが、全員楽しそうに挑戦していました。跳ぶカエル、手裏剣等が人気を呼んでいました。

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また、韓国系のアメリカ人で、私達講師役も知らない”バラの花“を見事に折る器用な学生さんがいて、逆に我々日本人が彼女に教わる場面もありました。

この折り紙ワークショップは日本の学生さん達にも参加してもらい、教えたり教わったりと自然に交流が生まれ、会場は賑やかな笑い声に包まれました。

2つのグループともに茶道と折り紙の体験が終了したところで記念写真を撮影しました。

その後、ビュッフェ形式の昼食会となり、各自好きな食べ物を自由に取って、懇談しながら日本の食事を楽しんでもらいました。長崎で大村寿司を作る体験をしているので、酢飯にもすっかりなじんでいる様子でしたが、今年も1番人気はやはりカツサンドでした。

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最後はJBSGからのプレゼントとして、今回は全員に折り紙セットを贈りました。
学生さんからは、お礼のご挨拶と、ジャパンボウルグッズをいただき、交流会は無事終了しました。

第2回JBSG主催の講演会を開催

予告でお知らせしたように、2017年5月20日(土)に、渋谷男女平等・ダイバーシティーセンター(アイリス)で、JBSG主催の第2回講演会を開催しました。今回は、日米協会副会長の久野明子さんに、「日本初の女子留学生大山捨松―その生涯と先進性―」というタイトルで講演していただきました。

講演に先立ち、ジャパンボウル大会の最新の情報と今後の予定などをジャパンボウル(JB)ディレクターの神尾りささんが紹介し、続いて昨年度のJBSGの活動を代表の杉本昭子さんが報告しました。
さて本題の講演です。歴史好き、特に幕末から明治にかけての時代に興味のある方達の、期待に満ちた眼差しの中で、講演は始まりました。

久野明子さんは、「日本の女性で最初にアメリカの大学を卒業した人は誰?」というアメリカの友人の問いかけがきっかけとなり、曽祖母である大山捨松の波乱に満ちた人生の軌跡を調べ、「鹿鳴館の貴婦人 大山捨松」(中公文庫)を執筆されました。

今回の講演はその時に集めた資料や写真をもとに、捨松の生涯を動乱の明治という時代背景を踏まえて紹介し、彼女の生き方から「先進性」に焦点を当てて、お話されました。

大山捨松は会津藩士の娘として1860年に生まれ、8歳で戊辰戦争(会津戦争)を体験します。このあたり、NHK大河ドラマ「八重の桜」を思い出しますね。もっとも八重は戊辰戦争の時すでに23歳でした。山川さき(捨松の幼名)も籠城して負傷兵の手当てなどを手伝っています。

さて、捨松は11歳で明治政府の命を受けて渡米し、19歳で東部の名門大学であるヴァッサー・カレッジ(当時は女子大学)に入学します。下の写真は留学時のもので、右端が捨松です(Wikipediaより)。

次の写真は1862年当時のヴァッサー・カレッジと現在のヴァッサー・カレッジ(Main Building)です。キャンパスが美しいことで有名です。

捨松は優秀な学業で学生生活を過ごし、卒業生総代で演説するほど活躍します。卒業後はさらにコネチカット看護婦養成学校に一年近く通っています。その後、10年にわたるアメリカ留学を終えて、1882年に帰国します。次の写真は帰国報告のために参内したときの写真(Wikipediaより)。

帰国後、薩摩藩士であった陸軍卿大山巌氏に請われて結婚、鹿鳴館の華と謳われ、華族女学校設立や、津田英語塾(津田塾大学)設立にかかわり、日本の女子教育の向上に腐心し、日露戦争勃発時には、日赤篤志看護婦人会理事として救援活動を行います。このような経歴を聞けば、華麗な人生を謳歌したと思いがちですが、違うんです。次の写真は鹿鳴館時代のもの(Wikipediaより)

当時の日本は欧米に比べ近代化が大きく遅れ、開国したばかりの明治政府は右往左往している時代でした。11歳で渡米した賢明な少女は、自由で民主的なアメリカでのびのびと育って行きます。言葉は日本語より英語が堪能で、価値観も考え方も日本とはまるで異なっていました。「八重の桜」では、ハーフの水原希子がそんな捨松を演じていましたね。

政府により選ばれた国費留学生としての自負と気概を持って、頑張り続けた10年の後に、日本に帰ってみれば彼女達に期待されていたポストは皆無という状態でした。明治政府の女子留学生派遣の目的は、北海道開拓事業に必要な優れた人材(男子)を生む女性を育成するための実験台だったと久野さんは述べています。

アメリカで学んだことを役立てたいと考える捨松にとって、日本社会の構造は大きな壁となっていたはずです。しかし、彼女は国費留学生としての責務と義務、女性としての幸せを熟慮し結婚し、大山巌夫人としての立場でできる最大の社会貢献のあり方を模索していきます(寄付金集めのための鹿鳴館慈善会開催、有志共立病院看護婦教育所の設立援助、日本赤十字社での看護活動、女子英学塾、後の津田塾大学設立援助など)。
錦絵新聞に掲載された慈善会のようす(Wikipediaより)

彼女の行動の原動力となっているのは、時代を見据えた「先進性」にあると思います。ヴァッサー大学の卒業論文のテーマは、国際政治であり、総代で演説した論文は「イギリスの日本に対する外交政策」で、この演説はアメリカの新聞でも大きく取り上げられたほどでした。

先進性を持つには、物事を広い範囲から捉え、重要度を選択し、できるだけ正しい予測を立てる必要があります。捨松の生まれ持った能力と、アメリカ留学で得た幅広い知識が、彼女の先進性を作り上げたと考えられます。

講演はこのような内容でした。いつの時代でも、個人が置かれた環境の中で、様々な制約があると思いますが、制約を受けながらでもできる事、成し遂げられる方策をみつけ、進むべき道を歩む人の素晴らしさを感じ、その姿勢に少しでも近づけられたらと、思わず背筋を伸ばして講演を聞いていました。

講演後、質疑応答の時間を設け、お茶とお菓子をいただきながら、久野さんと参加者との交流を深めました。参加者からは講演に対しての質問、ご意見、さらに留学希望の若い学生さんからもいろいろな質問がありました。

今年の全米ジャパンボウル大会

2017年全米ジャパンボウル大会の模様と結果

第25回全米ジャパンボウル大会が2017年4月6日-7日に、メリーランド州チェビー・チェイスにある、National 4H-Conference Centerにて開催されました。

4月6日が各レベルの予選で、筆記と面接試験が行われ、各レベルの上位チームが7日の本選に進みます。クイズ大会の流れは例年どおりで、「メンバーブログ」の    ”第24回ジャパンボウル大会“  に詳しく記載してあるので、是非ご覧ください。また、今年も外務省の「KAKEHASHI Project」で20数名の入賞者が日本に招聘されることが決定しているそうです。昨年同様、今年の夏に元気な彼らと日本で会えることを楽しみにしています。

さて、今年の結果です。

レベル 2(日本語学習歴2年)

1位  シルバークリーク高校(カリフォルニア州)
2位  トーマス・ジェファーソン高校(ヴァージニア州)
3位  リンブルック高校(カリフォルニア州)
4位  タウンゼント・ハリス高校(ニューヨーク州)
5位  シャコピー高校(ミネソタ州)

レベル 3(同3年)

1位  リンブルック高校(カリフォルニア州)          2位 トーマス・ジェファーソン高校(ヴァージニア州)     3位  グリッチェン・ウィトニー高校(カリフォルニア州)     4位 ウッドランズ・カレッジパーク高校(テキサス州)     5位  モンゴメリー・ブレア高校(メリーランド州)

レベル 4(同4年)

1位  タウンゼント・ハリス高校(ニューヨーク州)       同率1位  レイクブラドック高校(ヴァージニア州)       3位  イースト・ビュー高校(ミネソタ州)          4位  スティーブンソン高校(カリフォルニア州)       5位 ノースサイド・カレッジ・プレップスクール(イリノイ)

 

日本初の女子留学生大山捨松―その生涯と先進性ー 

第2回JBSG主催講演会のご案内

JBSG主催の講演会を下記の日程で開催いたします。 講師に日米協会副会長の久野明子氏をお招きし、曾祖母にあたられる「大山捨松氏」の生涯をみつめ、幕末から明治維新の激動の時代を、凛として生き抜かれた一人の女性の生涯とその先進性について講演していただきます。急速に世界が内向きになってきた今、一人一人がどのように対応すべきかのヒントが得られるかもしれません。 ご友人をお誘いあわせの上奮ってご参加下さい。

日時:2017年5月20日(土)14:00~16:00 (開場13:30)

場所:渋谷男女平等・ダイバーシティーセンター(アイリス)       (渋谷区文化総合センター大和田 8F:渋谷区桜丘町23-21   ℡:03-3464-3395 渋谷駅から徒歩5分)          アクセス: http://www.shibu-cul.jp/access.html

参加費:1000円(学生500円)

申し込み先: akiko16suigmoto@gmail.com

講演: 久野明子氏 (日米協会副会長)

日本初の女子留学生大山捨松ーその生涯と先進性ー

昨今の若者は「内向き志向」といわれ、世界に羽ばたこうとするチャレンジ精神に欠け、海外に留学する学生の数が最近では著しく減少しています。 今から約140年前、わずか11歳で明治政府の命を受けてアメリカに10年間も留学した女性がいました。いったい何のための留学だったのか、アメリカで何を学んだのか、帰国後の彼女を待っていた日本の社会は?現代の日本人は彼女から何を学ぶべきか? 曽孫にあたる久野明子さんが当時の貴重な写真を紹介しながら、日本初の女子留学生大山捨松の隠された秘話について語ります。

講演に先立ち、15分ほどジャパンボウルの紹介、JBSGの活動報告を行います。また、講演と質疑応答終了後、講師を交えて懇談会を行います。

久野明子氏プロフィル

應義塾大学文学部卒。在学中、慶應-スタンフォード夏季交換留学生プログラムで渡米。卒業後、東京オリンピック組織委員会渉外部、米国オハイオ州政府東京代表などを経て、一般社団法人日米協会専務理事に就任、現在は副会長を勤める。

著書『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』(中央公論社) 『昭和天皇最後のご学友』(中央公論新社)

訳書『華族女学校教師の見た明治日本の内側』アリス・ベーコン著(中央公論社 )

講演会チラシ

会場地図

 

 

 

 

 

ジャパンボウルのLINEスタンプ「かんじ君」登場

ジャパンボウルのマスコットキャラクター“かんじ君”のLINEスタンプができました。

1セット40個、120円で販売していて、LINE STOREで購入できます。全ての収益はジャパンボウル大会に役立てられますので、LINEを使っている皆さま、是非ご利用下さい。

https://store.line.me/stickershop/product/1355458/ja

下 図のように、とても可愛い“かんじ君”ですが、“おはよう”や“お休み”のほかに、ジャパンボウル大会でよく出題される“オノマトペ”がたくさん組み込まれています。私もLINEの相手に薦め、皆で楽しんで使っております。「かんじ君」のかんじは、漢字、感じ、などいろいろな解釈ができます。漢字なのに漢字が入っていないと思ったあなた、実はなかなか深淵な仕掛けがあって、その鍵はどうも鉢巻きにあるようです。どうぞ購入してその辺のところも楽しんで下さい。よろしくお願いいたします。

手作りペン皿、手作り団扇、皆さまのご協力に感謝!

このホームページの“活動報告”にも書いてありますが、昨年行った交流会のイベントで、JBSGの活動を応援して下さっている多くの方々の協力を得て、ペン皿や団扇を作ってみました。作品の出来はともかく、作る側はとても楽しかったので、その模様を少し詳しくご紹介いたします。

1)ペン皿
昨年8月にジャパンボウルの優秀者24名が来日した際、アメリカの高校生達に手作りの記念品をプレゼントすることを決めました。例年、高校生達は各地の研修先で見つけたお気に入りの品々を沢山買い込んで、最後に東京にやってきます。私達が彼らと出会うのは帰国間近なので、できるだけかさばらず、軽いもの、さらに誰にでも作れるものという条件を付け、結局ペン皿を手作りすることにしました。

JBSG活動の協力者の中で、手作り作品を多く手掛けている方にお願いし、ボウル紙、、セロテープ、ボンド、ハサミ、和紙などの材料で、素人の我々にでも比較的簡単に作れるペン皿を考案していただきました。昨年5月半ば、メンバーと協力者合わせて十数名が集まり、考案者の方からの丁寧な指導を受けながら、ボウル紙の型紙に合わせ、好みの和紙を選んで初めてのペン皿作りに挑戦しました。1つ作ると様子が分かってきて、早い人は3個、遅い人でも2個のペン皿を作りあげました。

JBSGの協力者の方々からこれまで、「アメリカの高校生に役立てて」と、焼き物、玩具、浮世絵の切手、扇、装飾団扇などの品々を寄付していただいています。今回使用した和紙もその一つで、どれもそのまま額に入れて飾りたくなるような素敵なものでした。

こうして多くの皆様のご厚意とご協力の下、半日足らずで30個近くのペン皿が完成しました。出来上がった作品は、作った我々自身が欲しくなるような味わいのあるものに仕上がりました。ご協力くださった皆さまに心から感謝する次第です。


2)団扇
昨年8月にJBSG主催の交流会を開催した際には、アメリカの高校生達が、初対面の日本の学生さん達と自然な流れで交流できるようなワークショップとして、団扇作りを企画しました。真夏の日本で役に立ち、持ち帰りにもあまり邪魔にならず、比較的短時間で作品になるとの考えからです。

用意したのは、竹製の白地の団扇、カラーペン、和紙(千代紙)、糊、ハサミなど。部屋の一角に墨と筆でお好みの文字を書き込めるコーナーを設け、JBSGのメンバーや協力者の書家に待機していただき、学生さん達の要望に応える仕掛けをしました。いくつか見本を置いた方が作りやすいのではという意見も出ましたが、見本がない方が、自由に若い感性で楽しい作品になるだろうということになり、結局見本は置きませんでした。

予測は的中、最初の戸惑いは、隣の子に聞いたり教えたりしてあっという間に消え、見事に全員が素敵な団扇を作りあげました。墨と筆のコーナーには、「自分の名前を日本語で」「一番好きなこの文字を」「この位置にこの字を」など、具体的な要望を持った高校生達が並び、日本語の文字とその意味をよく理解していることがうかがわれ、さすがにジャパンボウルで好成績を取っただけのことはあると感心しました。カラフルな絵や和紙の模様の中に墨の線や文字がアクセントになってなかなかおしゃれな作品ができました。

このイベント、参加した大人達も喜んで”My UCHIWA”を作り、大いに盛り上がりました。写真の団扇は、書家のお一人が、学生さんに触発され、虹と日米の懸け橋を連想して作ってくださったJBSGのための団扇です。有難うございました。