第24回ジャパンボウル全米大会 優勝はモンタビスタ高校(CA)!

4月14日と15日に開催された第24回ジャパンボウル大会が無事終了しましたので、その様子をお知らせいたします。

今年はグアムからニューヨークまでの全米各地から76チーム、総勢221名の高校生が参加しました。会場は例年と同じ、ワシントンDCの近郊、メリーランドのChevy Chaseです。レベルが1~4まで設定されていて、競技は3名で構成するチーム形式で行います。

まず初日は各レベルで予選が行われます。予選では、2回の筆記と1回の面接試験があり、計100の問題が出されます。質問の内容は日本語の語学力だけでなく、日本の現代史、文学、芸術、政治や経済の仕組み、日本の礼儀作法や特有の仕草、衣食住に関してなどと、非常に多岐にわたっています。下の写真は予選の一場面です。

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初日の夜には歓迎セレモニーが開かれ、参加者全員が昼間の戦い(?)を忘れて楽しみます。今年は玉川大学の太鼓グループ、和ロックバンド「奏手候」によるパフォーマンス、北尾まどか氏の将棋、「西浦流」代表の西浦喜八郎氏による香道、きゃりーぱみゅぱみゅのプロモーションビデオも手掛けた増田セバスチャン氏のアートプロジェクト「TIME AFTER TIME CAPSULE」のワークショップなどが行われました。

予選の筆記と日本語による面接試験の採点が集計され、各レベル上位3チームが2日目の決勝戦に臨みます。決勝戦は3チームがステージに並び、大会への参加者だけでなく、応援に駆け付けた各高校の友人や関係者、ワシントン近郊の高校生達に公開されます。例年この公開決勝戦は、観客の明るく元気な声援を受けて、大変に盛り上がります。競技の判定は客席の前に居る審査員が行います。下の写真は決勝戦の様子です。

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2日目の最後に各レベルの優秀チーム上位5チームの表彰があり、今年は在米日本大使館の尾池厚之特命全権公使が出席され、メダルの授与が行われました。レベル4の優勝校はカリフォルニア州モンタビスタ高校でした。モンタビスタ高校には、Mazda Foundationの支援で、日本研修旅行が授与されました。下の写真は優勝校モンタビスタ高校チームです。

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先日、送られてきた資料をもとにこの記事を書きながら、2012年4月に決勝戦を見に行った時の感動が蘇ってきました。そして皆さんに高校生達の知識の豊富さ、真剣で元気に頑張っている姿を是非一度見ていただきたいと思います。

ところで今年の出題例です。皆様、解けますか?

問題:次の4名の中で、俳人ではないのは誰ですか?A)松尾芭蕉  B)与謝蕪村 C)夏目漱石 D)正岡子規

答え:C)夏目漱石(でも漱石も俳句を作っていますよね)

問題:七福神の名前をローマ字で答えなさい。(最も多くの名前を答えたチームに点数が入る)

答え:Benzaiten, Bishamonten, Daikokuten, Ebisu, Fukurokuju, Hotei, Jurojin (またはKichijoten)

当日の模様を写した写真が以下のサイトにあります。
https://drive.google.com/folderview?id=0B_x2URtLcdC7c3pNSWI4QkFKTzg&usp=sharing

また桜祭りの様子がテレビジャパンで報道され、その中でジャパンボウルに参加した生徒へのインタビュー、特設ステージで「花は咲く」を歌う様子などが映っています。http://tvjapan.net/tvjapan_club/

テレビジャパンで報道された特設ステージで「花は咲く」を歌う様子はごく一部ですが、下記のYouTubeの動画では最初から最後まで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=v9dlYg8A0K0

サクラとハナミズキの物語

先日、日比谷公園を松本楼へ続く道を歩いていたら、左側にハナミズキの花がきれいに咲き競っていました。
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近づいてみると案内板が2つ立っています。公園が設置したグリーンアドベンチャーのためのもので、一つは「この樹木の名は?」となっていて、もう一つは「ハナミズキ」の紹介でした。
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どちらの案内板にも、当時の東京市長だった尾崎行雄氏(憲政の神様といわれる尾崎咢堂)が、明治45年にワシントンにサクラを贈り、その返礼に大正4年にアメリカ合衆国より贈られたものと書かれています。ワシントンのサクラといえば、我々JBSGと関係が深いワシントンDCのポトマック河畔のものであり、桜祭りをすぐに思いだします。

今、ここに咲いているハナミズキが、桜祭りとどんな関係があるのでしょうか。ちょっと探ってみました。

桜祭りが開催されるワシントンDCのポトマック河畔のサクラは、皆さんよくご存知のように日本から贈られたものです。そこには何人かの人たちが絡んだ、興味深いエピソードがあります。

一人目、明治中期(1885年)に日本を訪れてサクラの美しさに魅せられて帰国したNational Geographic Societyの記者であったEriza Scidmore。彼女はたった一人で、サクラを植える運動を始めます。24年間も!。
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二人目、植物界のインディー・ジョーンズともいえるDavid Fairchild。彼は、植物ハンターで、メリーランド州の自宅の庭に何種類ものサクラを植えて、アメリカでもサクラが育つことを証明します。
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三人目、アメリカ第27代大統領William Howard Taft夫人のHelen Herron Taft。彼女は夫である大統領から「真の大統領」と言われるほど、いろいろと決めることができる人でした。ファーストレディーになる前に何度も日本を訪ねたことがあり、日本が好きだったのです。1909年にファーストレディーになってワシントンに入ってから、彼女はワシントンDCの街並みを美しくする仕事を任されます。
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四人目、世界で初めてホルモンであるアドレナリンを結晶として抽出することに成功し、三共製薬を興しタカジアスターゼをヒット商品に仕立てた高峰譲吉。彼は当時、アメリカ人のキャロライン夫人とニューヨークに住んでいました。Jokichi_Takamine

 

 

 

そして五人目が冒頭の尾崎行雄になります。800px-Yukioozakicrop

 

 

 

この五人の人たちがどのように絡み合って、ポトマック河畔のサクラは花開くのでしょうか(以下続く)。

ワシントンDCのサクラに関しては以下のページが詳しいです。
ワシントンサクラ物語

肖像写真はいずれもWikipediaより。