サクラとハナミズキの物語

先日、日比谷公園を松本楼へ続く道を歩いていたら、左側にハナミズキの花がきれいに咲き競っていました。
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近づいてみると案内板が2つ立っています。公園が設置したグリーンアドベンチャーのためのもので、一つは「この樹木の名は?」となっていて、もう一つは「ハナミズキ」の紹介でした。
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どちらの案内板にも、当時の東京市長だった尾崎行雄氏(憲政の神様といわれる尾崎咢堂)が、明治45年にワシントンにサクラを贈り、その返礼に大正4年にアメリカ合衆国より贈られたものと書かれています。ワシントンのサクラといえば、我々JBSGと関係が深いワシントンDCのポトマック河畔のものであり、桜祭りをすぐに思いだします。

今、ここに咲いているハナミズキが、桜祭りとどんな関係があるのでしょうか。ちょっと探ってみました。

桜祭りが開催されるワシントンDCのポトマック河畔のサクラは、皆さんよくご存知のように日本から贈られたものです。そこには何人かの人たちが絡んだ、興味深いエピソードがあります。

一人目、明治中期(1885年)に日本を訪れてサクラの美しさに魅せられて帰国したNational Geographic Societyの記者であったEriza Scidmore。彼女はたった一人で、サクラを植える運動を始めます。24年間も!。
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二人目、植物界のインディー・ジョーンズともいえるDavid Fairchild。彼は、植物ハンターで、メリーランド州の自宅の庭に何種類ものサクラを植えて、アメリカでもサクラが育つことを証明します。
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三人目、アメリカ第27代大統領William Howard Taft夫人のHelen Herron Taft。彼女は夫である大統領から「真の大統領」と言われるほど、いろいろと決めることができる人でした。ファーストレディーになる前に何度も日本を訪ねたことがあり、日本が好きだったのです。1909年にファーストレディーになってワシントンに入ってから、彼女はワシントンDCの街並みを美しくする仕事を任されます。
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四人目、世界で初めてホルモンであるアドレナリンを結晶として抽出することに成功し、三共製薬を興しタカジアスターゼをヒット商品に仕立てた高峰譲吉。彼は当時、アメリカ人のキャロライン夫人とニューヨークに住んでいました。Jokichi_Takamine

 

 

 

そして五人目が冒頭の尾崎行雄になります。800px-Yukioozakicrop

 

 

 

この五人の人たちがどのように絡み合って、ポトマック河畔のサクラは花開くのでしょうか(以下続く)。

ワシントンDCのサクラに関しては以下のページが詳しいです。
ワシントンサクラ物語

肖像写真はいずれもWikipediaより。

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