サクラとハナミズキの物語(2)

前回の続きです。登場人物を紹介したので、これらの人々がどのようにかかわりあって、アメリカにサクラが贈られたかのお話です。でもこのお話は、ネット上に載っている情報(前回の最後に紹介したワシントンサクラ物語)に詳しく書かれています。

ちょっと、余計なことを。上に引用したサイトの高峰譲吉博士の紹介のところに、氏は「「消化薬のタカジアスターゼ」やホルモンの「アドレナリン」を発明した人です。」と書かれています。化学者としてはここところに「ウン?」と感じました。

タカジアスターゼはともかく、アドレナリンはもともと人も含めて動物が持っているもので、発明できるものではありません。高峰譲吉は上中啓三とともに、牛の副腎からアドレナリンを抽出して結晶化に世界で初めて成功したのであって、決して新たに発明したわけではありません。

閑話休題。さて、サクラの話に戻ります。実は、このあたりのお話を、JBSGのアドヴァイザーである神尾りささんが絵本にしているので、それを紹介した方がいいと思います。最初のページは次のようなものです。

RisaKamioFirstPage絵本はPDFファイルになっています。神尾さんの許可を得て、下のリンクでダウンロードできるようにしておきます。
「シドモアさんと百年の夢」神尾りさ 改訂版2013.9.

五人の人の思いが一つになって、日本からアメリカにサクラが贈られたんですね。しかも一度は失敗して、それを乗り越えて。本当に何かを為すためには、人と人とのつながり、絆が大事なのだということがよくわかります。

さらに五人のかかわりについてもう少し書こうと思ったら、ワシントンDC日米協会会長のJohn Malottさんが書いた「Mrs. Taft Plants a Tree - How the cherry blossoms came to Washington」という小冊子がMalottさんから送られてきて、そこにはさらに詳しく経緯が書かれていました。そこでその最後の「あとがき」のような部分だけを、借りることにします。もっとも大事な点だと思うので。Malottさんの原文と、私のつたない訳を載せておきます。書いた人の気持ちがうまく日本語になっているといいのですが。

Like many other people, I have long admired the beauty of the flowering Japanese cherry trees, and I knew the basic facts about Mayor Ozaki and how the trees came to Washington. But as I started to read about Japan’s gift to America, I learned that there were many other people involved in making this happen, each for their own reasons — Eliza Scidmore, Dr Jokichi Takamine, David Fairchild, and Nellie Taft. As I studied more, that led to learning about the people who were instrumental in transforming the physical appearance of Washington at the beginning of the 20th century, creating the site where the trees were planted — the City Beautiful movement, Teddy Roosevelt, and even, in a way, Pierre L’Enfant.

Learning and telling the story of how the trees came to Washington — and it’s a great story — made me realize that at the end of the day, history is about people — the dreams they hold and the things they do. By definition, planting a tree is an act of faith in the future, and what these people did a century ago is still with us today. We should all be grateful to them.

拙訳
「多くの人たちが思うように、私もサクラの花を本当に美しいとずっと思ってきたし、サクラを贈ってくれた東京市長・尾崎行雄氏のことや、どういう経緯でサクラがここポトマック河畔へやってきたかの大筋は知っていた。しかしながら、日本からアメリカへの贈り物に関する資料を読み始めると、尾崎氏以外にも多くの人たちが、この贈り物の実現に絡んでいることを知ることになった。Eliza Scidmore、Dr Jokichi Takamine、David Fairchild、そしてHelen Taftがその人たちであり、それぞれに思い入れがあった。さらに調べてみると、20世紀の初頭にワシントンDCの街並みを作り変えて、サクラが植えられている現在の場所を作りだした「都市美運動」、ワシントンDCのこの運動を支持した26代大統領Theodore Roosevelt、さらに遡ればGeorge Washingtonとともに首都のデザインをしたPierre L’Enfantについても知るところとなった。

桜の木がどういう経緯でワシントンDCに植えられたのかを学び、書き進めると、それは実に壮大な物語なのだが、歴史は人なのだ、人が夢を抱き、その実現のために事を為す、それに尽きることを実感する。「木を植えること」は将来を信頼するという行為であり、実際にこれらの人々が一世紀前に行ったことが、現在の我々のもとにある。今を生きる我々は、誰もが彼らに感謝すべきだと思うのである。」

MalottCovePageこの小冊子、とても凝った作りになっています(上の写真は表紙です)。Malottさんの許可を得て、この小冊子のPDFを載せておきます。ファイルのサイズが大きいですが(3.84Mb)。
Mrs Taft final brochure layout 12 2011
Copyright(C) 2012 The Japan-America Society of Washington, Inc.

こうして1912年3月27日にポトマック河畔にヘレンとエリナの手によって桜が植えられ、これが発端となって1935年に市民団体の共同支援で桜祭りが開催され、その後、第二次世界大戦の中断などがありましたが、1947年には再開され、毎年、この時期に桜祭りが行われてきました。例年、3月27日には大統領夫人が桜を植えることになっています。

このサクラの返礼に、1915年(大正4年)にハナミズキが日本に贈られ、日比谷公園などに植えられたのでした(まだ続く)。

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